世界に終りが来るのか

昔から「世界に終りが来るのか」ということは、人びとの大きな関心事となってきたようです。

20世紀の終りには「1999年7の月に人類が滅亡する」というノストラダムスの予言が、また21世紀入ってからは、「世界は2012年に終わる」というマヤ文明の暦の話をもとにした本や映画が注目を集めました。

信じる、信じないは別として、確実に言えることは「形あるものは、いつか必ず壊れる」ということです。

仏教ではそれを「諸行無常」という言葉で言い表しています。

では、もし私たちの世界に終りが来るとすれば、それはどのような形で訪れるのでしょうか。

「終焉のセオリー」として挙げられているものの中にはいろいろなパターンがあるようですが、その中の一つが「太陽風」です。

太陽はおよそ11年ごとに、活動が活発な「極大期」とそうでない「極小期」とを繰り返します。

極大期には、様々な電子機器が機能停止する強い太陽フレア(過度に充電された陽子の噴火)現象が発生する可能性が高いと言われます。

また、強い磁場、高密度のプラズマを伴った太陽風が地上に到達することで、電力供給網を混乱させ、米国だけでも1億3000万人に被害が及ぶ大規模停電が発生する可能性があるといわれています。

そのようなことを聞くと、「それって何というSF映画の話ですか」問いかけたくなりそうですが、1859年に発生した太陽風は、アメリカとヨーロッパの電信網をショートさせましたし、1989年の太陽風では、カナダケベック州の全域が停電しています。

その頃と比べると、現代は急速に電化が進むんでいます。

もし、太陽風によって世界規模で停電が発生すれば、未曾有の混乱が発生することは避けられません。

先頃、米航空宇宙局(NASA)が、「2年前に太陽から強力な太陽風が放出され地球をかすめたが、もし地球を直撃していれば全世界が被る経済的損失は2兆ドル(約200兆円)にも及び、現代文明を18世紀に後退させるほど威力があるものだった」ことが分かり、発表しました。

NASAは報告書の表題を「ニアミス:2012年7月の巨大太陽風」とし、もし放出が1週間早かったら地球を直撃していたと指摘しています。

まさに人類は、暗黒時代に陥りかねない危機一髪の状況に遭遇していたという訳です。

「太陽風」とは、太陽で非常に大規模な太陽フレア(火炎=黒点付近が爆発的に明るさを増す現象)が発生した際に放出される高速度の「荷電微粒子流」のことで、主に陽子と電子から構成されます。

その中に含まれる電磁波、粒子線、粒子などが、地球上や地球周辺の人工衛星などに被害をもたらすことで知られ、もし地球を直撃した場合、電力網、通信、位置測位システムの広範な停止が想定されています。

NASAによると、2012年7月23日に発生し、地球の公転軌道上を秒速約3000キロ(通常の太陽風の4倍の速さ)で駆け抜けた太陽風は、過去150年間で最も強力なものだったそうです。

軌道上の位置は地球が1週間前に通過した地点で、NASAの研究員は

「宇宙で何が起きているか理解している人はほとんどいなかったが、私たちはとてつもない幸運で難を逃れた。太陽風の直撃を受けていれば、今でも後始末に追われ、復旧には何年もかかったであろう」

と話しています。

もし太陽風に直撃されれば、電力網と通信網は地球規模で壊滅的なダメージを受け、スマートフォン、タブレット端末、パソコンなどの電子機器も破壊されていたとみられます。

気になるのは今後の太陽風の来襲ですが、太陽風に関する研究結果によれば、今後10年以内に強力な太陽風が地球を直撃する確率は12%だそうです。

太陽の活動は地球からコントロールすることはできないだけに、もし直撃されれば、備えがあったとしても甚大な被害が出るのは必至で、さらに人体にもマグネタイトという微量な磁石があるため、人間の感情や行動パターンにも悪影響を及ぼすという説もあります。

地球が壊滅的な危機に陥る可能性は、思っている以上に高いようです。

そういうことを知ると、世界を見渡せば「宗教が違う」「民族が違う」、あるいは「ここは我が国の領土だ」などと主張して殺し合いを繰り返していることは、何とも愚かしく見えます。

宇宙から地球を見れば、どこにも国境の線引きはないのですから、人類は「人」の前に「日本人」というように国の名前でなく「地球」という名前を冠せば、みんなが「地球人」ということになります。

他の「終焉のセオリー」も地球規模のものばかりです。

誰もが、慰安旅行を楽しむかのように気軽に宇宙旅行が出来る時代がくれば、みんな宇宙から地球見て、地球人同士が争うことの愚かしさに思いを寄せるのかもしれません。

そうなる前に、人類が…、そして地球が滅びないことを願うばかりです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。