「オオ寒!」
風の子のように、冬の月の下を白河の河原へ駈け下りてきた足の迅(はや)い人影がある。
子どもでもなし、大人とも思えない、矮小(わいしょう)で脚の短い男だった。
頭の毛を、河童(かっぱ)のように、残ばらに風に吹かせて
「こん夜は、貧乏籤(くじ)を引いちゃったぞ、仲間の奴らは、さだめし今ごろは、暖まっているにちげえねえ」
洛内のどこかへ、急な用でもいいつけられて行ってきた帰りか、それは、天城(あまぎの)四郎の手下のうちでも、一目でわかる例の蜘蛛(くも)太(た)。
河鹿が跳ぶように、石から石へと、白河の流れを、足も濡らさずに渡り越えて、神楽(かぐらが)岡(おか)をのぼりかけたが、
「おや?」と、立ちどまって耳をたてている――
「琵琶の音がするぜ。はてな、こんな所に邸(やしき)はなし……」
ふと見下ろすと、赤松の林の中に、ポチとかすかな灯があった。
琵琶の上手下手を聞きわける耳のない蜘蛛太でも、足をしばられたように聴き(き)恍(ほ)れていた。
「誰だろう?」
好奇心も手伝って、――またその妙な音色にも釣られて――蜘蛛太は坂の途中から熊笹(くまざさ)の崖(がけ)を降りていた。
やがて出(いず)るや秋の夜の
秋の夜の
月毛の駒よ心して
雲井にかけた時の間も
急ぐ心の行(ゆく)衛(え)かな
秋や恨むる恋のうき
何をかくねる女郎花(おみなえし)
我もうき世のさがの身ぞ
人に語るな
この有様も恥かしや
「小(こ)督(ごう)だな」
平曲(へいきょく)はちかごろ流行(はや)っているので蜘蛛太にも、それだけわかった。
忍び足して、裏の水屋の隙(すき)間(ま)からのぞいてみた。
ぬるい煙が顔を撫でる。
炉ばたには黙然と首をうなだれて聞き入っている人があるし、一人はやや離れて琵琶を弾じている。
主客ともに四絃の発しる音に魂を溶けこませて、何もかも忘れているらしい姿が火に赤々と映し出されている。
「や?……叡山(えいざん)にいた範宴だ、法(ほう)然(ねん)のところにかくれて、綽空と名をかえたと聞いたが、こんな所(とこ)に住んでいたのか」
蜘蛛太は、拾い物でもしたようにつぶやいて、そのとたんに、琵琶の音などは頭から、掻き消えていた。
「頭領(かしら)も、知らないに違いない。こいつはまた、一杯飲める」
松林を駆けぬけると、近(この)衛(え)坂(ざか)の崖へつかまって、むささびのように迅(はし)こく登っていった。