小説・親鸞 去来篇 2015年1月4日

それなり慈円座(ざ)主(す)も綽空もじっと黙って坐っていた。

ふたつの巌(いわお)がそこへ生えているように。

――これは死を決して来たな。

と、慈円は感じた。

すくなくもそれくらいな覚悟がなければ今のことばは吐けないはずである。

――傷(いた)ましい。

とも思い遣るのだった。

きょうまでの経(けい)緯(い)を何もかも慈円は知っている。

そして、誰よりも案じている。

誰よりも綽空の大成を祈っている。

――しかし。

彼が今、突然にいい出した希望はあまりに問題が大きすぎる。

綽空のあらゆる苦悶と仏法に対する内燃がここ数年前からその問題にあることは慈円もよく知っていたし、芽生えのころから彼を見ている師としての理解も充分持っているつもりであるが、さて、こう現実にその解決を迫られても、所詮(しょせん)、僧として、いわんや天台の座主として、

(よし)とも、

(よかろう)とも、いい得ることではない。

けれどまた、綽空が、

(玉日姫をわたくしの妻に乞いうけたい)という率直な叫びをここでするまでには、実に何年間の苦悩、疑問、自責、そして肉体との血みどろな闘いをもとげてきた上であって、決して、一朝一夕の思いでないことも分る。

そうした暗黒の彷徨(さまよい)から出離して、念仏門へ一転した綽空は、そこでも、ただ易行往生の教えだけに安んじてはいられなかったと見える。

いや、自身がすでに信念していたある真理への「鍵」に対して、法然の教理からさらにつよい信念を加えてきて、いよいよ、

(こう行くのがほんとうだ)

と、臍(ほぞ)を固めに固めたあげくここへきたに相違ないのである。

たとえ、自分が反対しようが、社会が挙げて拒(こば)もうが、彼は百難と闘っても、その誓願へまっしぐらに進むかもしれない。

――弱ったことだ。

慈円は、たった一言(ひとこと)をいうのに、こうまで深刻にためらったことはない。

ものを思判する自分の脳髄(のうずい)が是非の識別をする力を失ってしまったのではないかと疑われるほどいつまでも考え込まずにいられなかった。

「――朝のおつとめのお邪(さまた)げをいたしました。お暇(いとま)申しまする」

綽空は、そっと、縁のほうへ身を退(しさ)らせていた。

慈円は、瞑目したまま、

「待て」といった。

「はい……」素直に、綽空はうずくまる。

「すぐ下山するか」

「いえ」しばらく間をおいて――

「登りましたついでと申しては憚(はばか)りがございますが、根本中堂、山王七社を巡拝して、なつかしい飯(いい)室谷(むろだに)へも久しぶりに、立ち寄って参るつもりです」

「体を、大事にせい」

是とも否とも、綽空の希望に対してはなにも答えないで、慈円は顔をそむけて眼をうるませていた。