小説・親鸞 去来篇 2015年1月19日

親戚(しんせき)という名に繋(つな)がっていても、平常(いつも)はめったに顔を見せない不沙汰(ぶさた)者までが、今夜は一堂に寄ったのである。

月輪殿の一門といえば、それぞれ顕栄の地位にあるか、社会的に相当な生活をしている者ばかりで、いわゆる上流人のみの一族なので、よほどのもんだいでもなければ、こうして皆が集まることはなかった。

「何の相談と思うて来たら、玉日を、綽空とやらいう念仏の一(いち)沙(しゃ)弥(み)に娶(めあ)わそうと仰せらるるよ。月輪殿の言葉と思うて、誰も、遠慮して言わぬらしいゆえ、わしが、親戚一同にかわって、まっ先に申そうならば、もってのほかな沙汰という他(ほか)はない。わしは、一門のために、こよいの話には、承服できぬ」

いつも親戚評議というと、重きをなす老翁(ろうおう)が、一同の沈黙をやぶってこう意見を述べると、その尾に従(つ)いて、

「どうものう……」と、賛意を拒(こば)む色が、誰の顔にも濃くあらわれた。

「第一、僧が妻帯するなどということは、法外もない沙汰じゃ。それへ、末(すえ)姫(むすめ)を嫁(や)りなどしたら、月輪の一門は、気が狂うたかとわらわれよう」

「いかに、綽空とやらの家柄がよいにせよ、秀才にせよ――」

「まして、悪い噂がある折じゃ。姫がどう望んでいようと、家名には換えられぬ、一族門(もん)葉(よう)の者が、挙げて、世間から非難されても、かまわぬという決心ならやむを得ぬが」

「いったい、お身があまりに、玉日を、末(すえ)姫(こ)じゃと思うて、可愛がりすぎるゆえ、こんなことも起るのじゃ」

「断念されい。皆が、この通りに不承知なもの――」

と、誰ひとり、月輪殿の心を酌(く)んで、それについて、方法なり策なりを考えようとする者さえなかった。

禅閤は、絶えず、沈黙して、親戚たちの詰問を浴びているほかなかった。

自分から招いて相談を持ち出したことであるが、

「月輪殿も、少々、お年を召されたらしい。こんな、明白な分別がつかぬというのは、お年のせいじゃろう」

などと親類たちから笑われたにすぎなかった。

また、それに対して、禅閤自身も、押しきるだけの自信がなかった。

親類たちの言葉はみな彼自身が考えもし悶(もだ)えてもいることなのである。

そして、自分の常識が、やはり大勢の者の常識であることが分ると、彼はなおさら、手も足も出なくなってしまうのだ。

「断じて、さような考えは、おすてなさるがよい。なあに、姫の病気(いたつき)なども、若いうちにはありがちなこと。

ほかに、よい聟(むこ)ができれば、忘れてしまうものじゃ」

親戚たちは、釘を打つように、そういって立ち帰った。

当惑の闇が、幾日も月輪殿の胸から晴れなかった。

西(にしの)洞院(とういん)の別荘へゆけば、そこにもまた、冬のままに閉した病間が、氷(ひ)室(むろ)のように彼を迎えた。

きょうも、その西洞院へ、姫の容態を見にゆくといって月輪を出た禅閤は、途中でなにを思いついたか、

「吉水へやれい」と、輦(くるま)のうちから供の者へ向って、唐突にいいだした。