小説・親鸞 去来篇 2015年1月22日

吉水の念仏道場は、およそ三つの房(ぼう)にわかれていた。

二つ岩の房(中の房)――松の下の房(東の新房)――吉水の房(西の本房)の三箇所である。

上人(しょうにん)は多く西の本房に住んでおられた。

月輪殿はもう幾度かここを訪ねているので、轅(ながえ)をそこへ向けて、

「上人ひ拝謁申しあげた上、折入って、御垂示をねがいたい望みでござるが、御都合のほどはいかがでござりましょうか」

と、供の者に訪れさせた。

――お目にかかろう。

という上人の返辞であった。

しかし今は、随身の人々へ法話の最中であるからしばらく一室でお待ちねがいたいという取次の者の挨拶なので、月輪禅閤は、庭前に小さな滝の見える一(ひと)間(ま)に入って、法話のすむのを待っていた。

春はもう去りかけている。

滝つぼには落花(はな)の芥(あくた)が浮いたり沈んだりしていた。

どこかで老(おい)鶯(うぐいす)が啼きぬくのである。

「――ただ今までの法(ほう)然(ねん)の話にて、ほぼ、往生の要に、二つの道の在ることをご会(え)得(とく)めされたであろうと思う。往生とは、必ずしも最期という意義にはあらず、死にもあらず、文字どおり、往(ゆ)きて生きること、すなわち、往生なのでござる。――往きて生きんかな、往きて生きんかな。御(み)仏(ほとけ)の功(く)力(りき)――大慈悲の恵みこそは――生きんとする者みのみこそ始めて無辺の昭光あるものでござる」

彼方(あなた)の道場から若々しい力のこもった法話の声がきこえてくるのだった。

法然の声なのである。

月輪殿はそこに控えている間を、黙然とうつ向いて耳を澄ましていた。

法然の声はさらにつづいてゆく。

「――しかしながら昨日(きのう)まで、おのおのの歩まれてきた道は、自力難行(なんぎょう)の聖(しょう)道門(どうもん)でござった。同じ住むを目的(めあて)とするも、その道のいかに難(かた)く、いかに惑い多く、またいかに達し難き道門であるかは、つぶさにご体験あったことと存ぜられる。

では、わが浄土門他力の御(み)法(のり)はいかにといえば、かの竜樹(りゅうじゅ)菩(ぼ)薩(さつ)も仰せられたごとく――仏法に無量の門あり、世間の道に難(なん)あり易(い)あり、陸路のあゆみは則(すなわ)ち苦しく、水路の舟行は則(すなわ)ち楽し――とある通りでござる。

天(てん)親(じん)菩(ぼ)薩(さつ)は、千部の論師といわれたお方なれど、往生の一段にいたっては、あまねく諸々(もろもろ)の衆と共に、安楽国に往生せん――と、一心に尽(じん)十方(じっぽう)無碍(むげ)光(こう)如来(にょらい)に帰(き)命(みょう)したまい、曇鸞(どんらん)大(だい)師(し)は、仙経を焼きすてて、他力に帰し、道綽(どうしゃく)禅(ぜん)師(じ)は、大集(だいじゅう)月蔵(がつぞう)経(きょう)のうちに億々の衆生(しゅじょう)、行(ぎょう)を起し道を修すといえども、まだ一人も得たるものあらず――と末法の世を喝破してある言葉を一読して、翻然(ほんぜん)と悟って、聖(しょう)道(どう)自力の旧教を捨て、浄土他力の真門に入ったということでござる。

その他、わが朝の先徳にも、空(くう)也(や)、源信、良忍、永観などみな、習い研(みが)きたる智恵も行(ぎょう)もすてて皆、念仏の一行(いちぎょう)に、往(ゆ)いて生れたる人々ではござらぬか。

お疑いあるな、善人も悪人も、智者も愚者も、男(なん)子も女人も、ただ、南無(なむ)阿弥陀(あみだ)仏(ぶつ)とのみ唱えて、深く思い入れ給うならば、百人が百人ながら、往生には洩れぬものでござる――往いて生れざる者は一人もあるべきはずのものではござらぬぞ。

この身は、煩悩(ぼんのう)悪業(あくごう)の身なればなどと、大慈悲光の下(もと)に、要らざる退(ひけ)身(み)など持ち給うなよ。

弥陀(みだ)は、深業(しんごう)の衆生のためにと起したまえるこの本願にてあるものを、強(ごう)悪(あく)の身とて、煩悩の身とて、なんの障(さわ)りがありましょうぞ」

滝つぼの水音と共に、上人の遠い声は、とうとうと、月輪殿の胸の底へ流れこんでくるのであった。