知人に誘われるまま、ハリウッドに代表されるビバリーヒルズの一角にある寿司バーに招待されました。
紹介されたシェフは、どう見ても日本人の職人。
同世代の彼と打ち解けるのに時間は要らず、互いに酒を酌み交わしながら話は尽きませんでした。
別れ際に「僕の休日に時間を取ってもらえませんか」と、思いがけない言葉を掛けられました。
数日後、食事をする中で、私服姿の彼は少し疲労感をにじませながら、淡々と自分史を語り始めました。
子どもの頃の貧しい暮らしのこと。
経済的に高校進学は難しかったものの、得意のサッカーで入学できたこと。
しかし途中で挫折し、高校を中退してしまったこと。
職を転々とした挙句、寿司職人となり、「アメリカンドリーム」を夢見て乗り込んだ新天地は、偏見と差別の泥沼だったこと。
辛く、悲しく、悶々とした日々の繰り返しで心身ともにズタズタになり、深夜ベッドの上で「このまま朝が来なければどんなに楽だろう」と真剣に願ったこと。
でも、どういう訳か、辛いとき、苦しいとき、悩んだときには不思議なことに、幼い頃の母親の歌声がふと口をついて出てきたそうです。
どんな歌なのか尋ねると、はにかみながら彼の口から
のんの ののさま ほとけさま
わたしのすきな かあさまの
おむねのように やんわりと
だかれてみたい ほとけさま
と、つぶやきとも、歌ともしれない声がもれ出てきました。
「幼い頃に母親がいつも口ずさんでいた…」と、微笑みながら語る彼の目から一筋の涙がにじんでいました。
優しい眼差しで、やんわりと幼子を包み込んでくれる母親と同じように、いつでもどこでも、み仏の願いの中にすっぽりと抱かれているのが、私の姿なのではないでしょうか。