お葬式が終わり、火葬された後に、自宅に戻ってきた故人の遺骨は、葬儀社の方が用意した中陰壇に安置することになります。
中陰壇には三具足やお供物が飾られ、他に遺影や白木の位牌が置かれたりしますので、遺族の目も仏壇よりも中陰壇の方に向かいがちです。
初七日等のお勤めでお参りをさせていただきますと、ほとんどの場合はこの中陰壇の前に家の方々が集まり、中陰壇のロウソクが灯され線香に火がつけられて、お花もきれいに飾られてあります。
さらに、おリンも座布団も用意されてあります。
私が、中陰壇の前でなく、お仏壇の前でお勤めを始めようとしますと、家の方が慌てて、お仏壇のロウソクに火を灯し、線香に火をつけ、おリンや座布団等をお持ち下さいます。
おそらく、こうした方々は、お勤めは遺骨の前で行い、そのお経が個人への追善回向(善を積んで個人に振り向ける)になると思っておられるのでしょう。
習俗においては、死後四十九日の中陰の間は死者の行き先が定まらないとされています。
そこで七日ごとの節目に法要のお勤めをし、その功徳を死者に振り向けて少しでも良き世界に生まれてもらおうというのです。
しかしながら、浄土真宗においては、故人は阿弥陀如来さまのおはたらきによって常に支え続けられ、みまもられ、そして娑婆の縁が尽きて、力なくしていのち終わっていくその時に、お浄土へと生まれ仏と成らせていただいたと味わうのです。
私たち凡夫には善を振り向けてより良き世界にいかせる能力など一つも備わっていません。
お浄土に生まれさせることができ、心からの安らぎを与え拠り所となってくださるのが阿弥陀如来さまなのです。
故人とのお別れの中、深く辛い悲しみの中であればこそ、いよいよ仰ぐべきは阿弥陀如来さまなのです。
だからこそ中陰壇の前ではなく、お仏壇の前でお勤めをさせていただくのです。