「笑いてなんやろ」(上旬)勘違いしてはる

ご講師:露の五郎さん(落語家)

日本人ちゅうのはおかしな国民でね、世界中でわらうのが一番下手なんです。

総理大臣の演説聞いてたら分かります。

外国の大統領とか総理大臣とこが演説しはると、だいたい三分に一回くらいの割合いで聞いている人がわらってはる。

つまり人をわらわすような楽しい話のできない大統領はアカンと。

ところが、日本の総理大臣が演説している最中に日本人はわらったことがない。

これが日本人の国民性なんです。

日本人は「わらうことは不真面目で、わらわないことが真面目や」と思うてるんです。

だいたい日本人ちゅうのは、わらわんようにわらわんように育てられます。

お父ちゃんはあんまり言わへんけど、お母ちゃんはたいがい育てるときに言いいまんねん。

「人さんにわらわれんようにしなさい」

「人さんにわらわれるようなことをしたらいかん」

そやさかいに、わらうことがいかんことやと思うてしまうんです。

ところが、この「わらう」とうことで、皆さん方がちょっと勘違いしてはることがあるんです。

皆さん方の頭の中にある「わらう」という字は「笑」なんです。

これは、もともと竹かんむりの下に犬と書いてたんです。

これが書き慣わしている間に、書き勝手がええというので、上の点がノになったんです。

そして、これは日本でできた漢字なんです。

漢の字やからみんな中国から来た字やと思うてはるでしょうが、全部が全部中国から来たんやないんです。

この「笑」という字は、弘法大師がお作りになったと言われています。

この弘法大師さんていう方は歩くのが好きで、あっちこっち歩き回ってはるんです。

ある時も町を歩いてたら横町から竹のかごが出てきた。

見てると、その竹かごがそおっと持ち上がって、下からかわいい子犬が顔を出した。

「こんなもんが勝手に出てくるわけはないと思うた。こんなやつが入ってたんか。ハハハ、かわいらしいやっちゃなあ」

と思わずおわらいになったとき、

「そうか、今竹かごをかぶった犬を見てわろうた。だから、竹かんむりの下に犬と書いて『わらう』と読んだらよかろう」。

でこの字ができたんです。

つまり、竹かんむりの下に犬と書く「笑う」は、おおらかな「わらい」。

いくらわらってもかまわない「わらい」。

これは、人間だけに与えられた特権なんです。

いろんな動物がいますけれども、わらうことができるのは人間だけなんです。

「わらう」というのは横隔膜がけいれんしますから、お腹が空いて、ゆとりができてと、良いこと尽くめなんですね。

ですから人間の特権としてわらわな損なんです。

なのに「人さんにわらわれないようにしなさい」とか「人さんにわらわれるようなことしたらいかん」とかいう育て方。

これは「笑う」ではなく、もう一つの「嗤う」のほうなんです。

この「嗤う」と「笑う」をいっしょにしてしまうから困るんです。

口へんの「嗤う」、これはペナルティーの「わらう」なんです。