激昂(げっこう)していた大衆は、すっかり溜飲(りゅういん)を下げて、
「頭を下げ、手をついて、降伏した者を、この上、踏みにじってもしかたがあるまい」
と、「念仏停(ちょう)止(じ)」の奏請運動は、せっかく、山王権現の神(み)輿(こし)まで磨(みが)いたところであったが、(沙汰(さた)止(や)み――)とうことになってしまった。
その後、安居院(あごい)の法印聖覚が、個人として、山へのぼってきて、
「一山の人に話したい」
と、熱心に、遊説(ゆうぜい)して廻った。
要するに、こういう紛争が起るのも、仏教に対する解釈のまちがいである、認識不足が因(もと)である。
――という法印の考えから、
(聖道門と、浄土門という演題を引っさげて、仏徒に対して、仏教の初学にひとしいことを、教育しに登ったのである。
山の者は、
「あいつも、今では、吉水の高足とかなんとかいわれ、世間は彼のことを、四海の唱導(しょうどう)師(し)一元の能説(のうぜい)とか称(ほ)めたたえて、ひどく偉い者あつかいにしているが、いったい、どんなことをいうのか一つ聴いてやろう」
と、悪くすれば揶揄(やゆ)するつもりで、法印の立ち寄る寺へぞろぞろと腕ぐみして集まってきた。
聖覚法印は、吉水と叡山との小さい事件や、感情には触れないで、ただ熱心に、道の真諦(しんたい)を説くだけだった。
「――どなたも、すでにご存じのあるように、生(しょう)死(じ)の惑いをのがれ、仏道の安心立命(あんじんりゅうめい)に到る道に、二つの道があります。その一つの方法を聖(しょう)道門(どうもん)といい、その一つの方法を浄土門というのでありますが、目的とするところは、いずれも、この娑(しゃ)婆(ば)世界にあって、行(ぎょう)を立て、功(こう)を積みて、今生(こんじょう)の証(あかし)をとろうと励むことにあるのは、二道、方法のちがいはあっても、目ざす所に変りはないのでございます」
かんでふくめるように、法印聖覚の話はやさしいのである。
「そこで、浄土門というのは、どういう方法に依って、往生(おうじょう)を願うかというと、それも二すじの道が分かれていて、一は諸行(しょぎょう)往生(おうじょう)といい、二には念仏往生といっています。諸行往生というのは、あるいは父母につかえ、あるいは師や主につかえ、菩(ぼ)薩(さつ)の行をとって凡身の浄化を念じるものであり、また、念仏往生と申すのは、行は、依って興(おこ)るものゆえ、第二義といたして、なによりはただ、念仏をとなえよ、一にも二にも念仏をもって、仏の本願へ行き迫るべしと、かように教えているものでござる。
――かるがゆえに、吉水の上人が説きさとし給うところに従えば、いかなる職業の態(てい)にも、貴賤のすがたにけじめなく、ありのままに、いるがままの生活(くらし)の形にても、仏の御手(みて)は、本願へ導き給うぞかしと、仰せられるので、いと易い道であるがゆえに、道俗の男女(なんにょ)は、旱天(ひでり)に雨露をうけたように、ここへ息づきを求めてくるのであります」
と説き、そして、
「――あえて、私どもは、この教義をもって、旧教の聖道門へ対立するとか、または、勢力を植えるとか、そんな考えでは毛頭ないのです。大体、私どもの念願は、僧侶に向って教えたり、僧侶に対して僧侶の勢力を示すとか、そんな目的では少しもなく、私たちの目標は、すがる物なく、現世を悲観し、虚無に落ちている不(ふ)愍(びん)な民衆に、光を与えてやろうという所にあるのでございます。
――ただただあわれな民衆と弥陀(みだ)の手をつないでやろうとするのが本願なので、どうか、この辺をよくご諒解ねがいたいものだと存じます、同時に、叡山としても、今の社会に対して、もっと、大きな慈悲の眼をもって、働きかけていただきたいと、衷心(ちゅうしん)からお願い申すわけであります」
*「真諦(しんたい)」=仏教で、仏の悟りにおける、絶対の真理。真如(しんにょ)。