今年で終戦70年を迎えます。
終戦末期の沖縄戦での犠牲者は、約23万5千人と言われています。
今年は、その沖縄をはじめ、全国各地で様々な追悼法要等が予定されています。
子どものころに、祖母がよく戦争の体験を話してくれました。
その体験談の中に
『お前のお父さんは、学徒出陣といって、学生のままで戦争に行った。
最初は満州にいたようだが、ある日、「自分たちの部隊は急いで南方面に移動するようになった」との便りが届いた。
やがて終戦をむかえたが、待てど・暮らせど、いっこうにお父さんは帰ってこなかった。
南方で戦った兵隊さんたちは戦死者が多いと聞いていたので、きっとお父さんも戦死したものと観念した。
残念で悔しくて辛い日々が続いた。
この時期が、婆ちゃんにとって人生で、一番つらいときだった。
反対に、一番嬉しかったことは、「死んだもの…」と、半分は諦めていたお前のお父さんが、ある日突然「母さんただ今」と、元気な声で帰ってきたことだ』
と、いう話がありました。
人生で一番つらかったこと、嬉しかったことを共に戦争にまつわる体験を通して語ってくれたことが思い出されます。
知覧には、特攻記念館があります。
何かの折りに訪ねられた方も多いことでしょう。
あそこには、戦死した若い特攻隊員の方々1,036名の写真や遺書が残されています。
出撃の前夜、万感の思いを込めて、最愛の両親や妻子、あるいは兄弟姉妹に宛てた認められた文面に触れると、思わず足がすくんで動かなくなるときがあります。
「死にたくないのに、死んで行かなければならない」
これほど、本人にとっても、家族にとっても辛く悲しいことはありません。
お経の中に「兵戈無用」ということが説かれています。
仏さまに教化された世界は、調和が保たれ、兵も武器も必要はないとお釈迦さまは教えて下さいました。
どうか、お釈迦さまの教えを拠り所として、共に「兵戈無用」を行動に移していきたいものです。