親鸞 2015年10月13日

「弁円、山伏のおめえにも、やはり慾はあるんだな」

「ばかをいえ」

「でも、松虫と鈴虫のありかを知りたがっているのは、いわずとも知れている、恩賞の金にありつこうというのだろう」

天城四郎は、そういうことを愉快がる男だった。

自分の悪魔主義を肯定してよろこぶのである。

「ちがう」

弁円は、首を振って、

「おれは、知行(ちぎょう)だの金だの、そんな物は要(い)らん」

「じゃあ何のために――」

「善信の奴に、痛い目を見せてやるためだ、復讐の一つとなるためだ」

「はてね?」

解(げ)せない顔をして、四郎は、きのうあたり剃ったばかりらしい青い頬から腮(あご)をなでた。

「はてなあ……」

「わからぬか」

「分らぬよ」

「おれの想像だが……しかしこの想像は外(はず)れていないつもりだ。――松虫と鈴虫のふたりは、きっと、吉水の法然上人の所にかくれていると思うのだ」

「えっ、吉水に」

「さればよ」

「どうして」

「――いや、確証はない。けれども、そういう気がしてならないのだ。なぜならば、今、女性(にょしょう)のあいだで、最も持て囃(はや)されている教義は何だと思う」

「法華経かな?」

「法華経も、上流の女性のあいだにはひところ行われたというが、それは極めて小乗的にだ。もっと、はっきりと、今の社会の女の気持をつかんでいる教義があるじゃないか」

「あ。念仏門だ」

「ほうれみろ。庶民から上層の女まで、念仏に帰依(きえ)した女性というものはたいへんな数だ。内裏(だいり)の女官のうちにも、公卿(くげ)の家庭にも」

「ムーなるほど」

「おれはそこでふと思いついたのだが、上皇の寵妃が、二人までも、御所を脱け出すなどというのは、容易にできることじゃあない。世間では、当然、恋愛だといっているが、色恋の沙汰なら、二人づれでは走るまい」

「そうもいえる」

「第一、男があって、そこへ走ったものなら、その男の周囲からすぐ知れる。また、死ぬ気なら別だが、さもなければ、御所を脱け出したからとて、満足に添いとげて行かれるものではなし、いくら恋は熱病でも、ありえないことだとおれは考える」

「いや、そうでもないぞ。若い女のことでは」

「まあ、それも疑問があるとしておいてもだ、衛府の役人や、捕吏(ほり)が、教門のほうへは少しも手を廻していない様子ではないか、それはどうだろう」

「まさか――と思っているからさ」

「それが手落ちだ」

「手落ちかなあ」

「お上(かみ)も、世間の者も少しも眼をつけないその方面を探るとしたら、叡山でもない、高雄でもない、奈良でもない、やはり吉水がいちばん臭いという結論になるのだ。

――どうだ四郎、ひとつおぬしの自由自在に暗闇を見る眼と足で、そいつを一つ突きとめてみないか」

「ム、やってもよいが」

「恩賞の金はそっちで取るがいい。その代り、お上へ密告するほうのことは、おれにまかせてもらいたいのだ」