師は、
「呼べ」という。
かくしていたことが、つい西仏のことばの端からわかったのである。
どんなお叱りをうけるか。
弟子たちは、しいんと黙りこんで、にわかに起つ者もない。
善信はかさねて、
「呼びなさい」と、いった。
「は」
もう否(いな)まれなかった。
定相が立って、暗い一間の中へ入って行った。
やがて、恐縮そうに教順が出てきた。
その後から、生信房は、布で巻いた額の傷口を抑えながら、悄々(しおしお)と出てきて、師のまえに坐った。
――俯向いている。
一同は、気の毒そうにその姿を見、また、きびしい師の面(おもて)をそっと仰いだ。
「痛そうな」
自然に師の唇から洩れた声であった。
――そして次にいった。
「深傷(ふかで)か」
「いえ、ほんの浅い傷でございます」
いつも元気な生信房が、元気なく答えた。
「どうなされたのじゃ。おもとはまたあれほど、御仏へ返し参らせてある我心(がしん)を出して、むかしのような悪業をしたのではないか」
ぎくと、生信房は顔いろをうごかした。
――むかしのという一語ほど彼にとって痛みを感じるものはなかった。
天城四郎という異名で、怪力と大盗の業(わざ)を誇りにして、世人を怖れしめていたころの自分が――その当時の自分のしたことの怖ろしさ浅ましさが――いまだに頭のすみに絶えず悔いているのであった。
「ちがうか」
「はい」
「では――」
と、師のことばは追求する。
「馬に蹴られたのでございまして、べつに」
「馬に?」
「はい」
「うかつな」
善信は、なおじっと、俯向いている彼を見つめて、
「それだけではおざるまい」
「それだけです」
「かくされな」
「はっ……」
「およそ、察しはつくが、かくしていては、おもとがかえって苦しもう、いっておしまいなさい」
しばらく、手をつかえていたが、
「――悪うございました、実は今日」
と生信房は唇(くち)をひらいた。
「かようでござります、あの新川村へ托鉢に廻りますと、いつかお師様がお寄りになられて、御勧化(ごかんげ)をしておやりになった、因果つづきでまことに不倖せな三日市の源左衛門夫婦が、私を見かけ、まろぶように、往来へ出て参りました」
「む」
「夫婦の申すには、聖人様に、念仏の道を諭していただいてからは夫婦の気持もすっかり変り、家は明るく、良人はよく稼ぎ、病人も絶えて、近ごろは、以前のわが家は、夢のようにおぼえ、朝夕、聖人様のお徳を拝んでおりまする。――かようにうれし涙を流して申しまして、こんな有難い教えを、どうかして、近所の衆、近郷の衆へも知らせてやりたい、どうか、私に今日は善根をさせてやると思し召して説教をしてくれとせばみまするゆえ、かねて、お代官から布教はならぬと禁じられてはおりましたが、あまり熱心に乞われるままに、その家の近くの松の木の幹へ、所持の御名号を掛けて、拙ない法話を初めたのでございました」