「教順どのと、生信房どのは、今し方もどられましたが、まだ、西仏房(さいぶつぼう)どのが、帰られませぬ」
と石念(じゃくねん)が答えた。
西仏房というのは、太夫房覚明が、都を離れる時に改めた名で、そのむかし木曾殿の猛将として三軍を叱咤した彼も、今では、まったく善信の法相をうけて、この配所では、誰よりも彼が高弟であると共に、またいつも同室の者たちを賑わしていた。
「道理で――」
善信はうなずいて、
「静かな宵じゃと思うたら、まだ西仏がもどらぬせいよの」
「こよいは、お師さまへ、栗粥をあげたいといって、山へ入ってゆきましたが、あの気軽な御房のことゆえ、先刻のこぼれ雪に遭って、また炭焼き小屋へでも入って、話しこんでしもうたのでございましょう」
「そうかも知れぬ」
配所にいても、少しも配所にいるらしい拘束もうけなければ、不平も感じていない西仏の生活ぶりを、善信は心のうちで、
(さすがに)と、微笑(ほほえ)まれていた。
石念はふと、
「お師さま、お机の端に、雪が積もっております、すこし、お立ち遊ばして下さい、掃除いたしましょう」
「机ばかりか、膝までもじゃ。夜半(よわ)にはもっと降るかも知れぬ、このまま溶けねば、よい燈火(あかり)になる、そっとして置こう」
善信には、机の雪が愛されて、払い捨てるに惜しい気がした。
雪を見ていると、叡山の苦学や、法隆寺の苦行や、若年の修学時代が思い出されるのだった。
――今もその心は失ってはいないが、幸いにまた、失うまいとする心がけもあった。
その時、磊落(らいらく)な声が表の軒下で聞えた。
――と思う間に足音大きく上がってきたらしい。
「や、西仏どの、お帰りなされませ」
と、室内の者がいう。
西仏は、
「寒いのう、今夜は」
と言って、すぐ思い出したように、
「そうだ、町の者に聞いたが、生信房が怪我をしたというではないか。生信房は、どうしてござるの」
と、何気なく言った。
「しっ……」
と、そこにいた者は、奥の師の耳を憚(はばか)って、手を振った。
「え?……」
西仏は、眉をひそめ、
「怪我は、そんなにおもい様子か」
困った顔をして、
「奥には」
と、もいちど、手を振ってみせた。
だが、その声はすぐ、善信の耳へはいってしまった。
「石念」
「はい」
「生信房が怪我をしたというておるが、真(まこと)かの」
「は……はい」
「なぜ、わしに黙っているか」
「申しわけございませぬ、ご心配をかけたくないと、当人が申しますので」
「どんな容子じゃ」
「落着いておられます」
「呼んでおいでなさい――苦痛でなければ」
そう告げて、善信は、皆のいる夕餉の部屋へ、自身も出てきた。