親鸞 2016年2月13日

「教順どのと、生信房どのは、今し方もどられましたが、まだ、西仏房(さいぶつぼう)どのが、帰られませぬ」

と石念(じゃくねん)が答えた。

西仏房というのは、太夫房覚明が、都を離れる時に改めた名で、そのむかし木曾殿の猛将として三軍を叱咤した彼も、今では、まったく善信の法相をうけて、この配所では、誰よりも彼が高弟であると共に、またいつも同室の者たちを賑わしていた。

「道理で――」

善信はうなずいて、

「静かな宵じゃと思うたら、まだ西仏がもどらぬせいよの」

「こよいは、お師さまへ、栗粥をあげたいといって、山へ入ってゆきましたが、あの気軽な御房のことゆえ、先刻のこぼれ雪に遭って、また炭焼き小屋へでも入って、話しこんでしもうたのでございましょう」

「そうかも知れぬ」

配所にいても、少しも配所にいるらしい拘束もうけなければ、不平も感じていない西仏の生活ぶりを、善信は心のうちで、

(さすがに)と、微笑(ほほえ)まれていた。

石念はふと、

「お師さま、お机の端に、雪が積もっております、すこし、お立ち遊ばして下さい、掃除いたしましょう」

「机ばかりか、膝までもじゃ。夜半(よわ)にはもっと降るかも知れぬ、このまま溶けねば、よい燈火(あかり)になる、そっとして置こう」

善信には、机の雪が愛されて、払い捨てるに惜しい気がした。

雪を見ていると、叡山の苦学や、法隆寺の苦行や、若年の修学時代が思い出されるのだった。

――今もその心は失ってはいないが、幸いにまた、失うまいとする心がけもあった。

その時、磊落(らいらく)な声が表の軒下で聞えた。

――と思う間に足音大きく上がってきたらしい。

「や、西仏どの、お帰りなされませ」

と、室内の者がいう。

西仏は、

「寒いのう、今夜は」

と言って、すぐ思い出したように、

「そうだ、町の者に聞いたが、生信房が怪我をしたというではないか。生信房は、どうしてござるの」

と、何気なく言った。

「しっ……」

と、そこにいた者は、奥の師の耳を憚(はばか)って、手を振った。

「え?……」

西仏は、眉をひそめ、

「怪我は、そんなにおもい様子か」

困った顔をして、

「奥には」

と、もいちど、手を振ってみせた。

だが、その声はすぐ、善信の耳へはいってしまった。

「石念」

「はい」

「生信房が怪我をしたというておるが、真(まこと)かの」

「は……はい」

「なぜ、わしに黙っているか」

「申しわけございませぬ、ご心配をかけたくないと、当人が申しますので」

「どんな容子じゃ」

「落着いておられます」

「呼んでおいでなさい――苦痛でなければ」

そう告げて、善信は、皆のいる夕餉の部屋へ、自身も出てきた。