生信房の真面目な話しぶりに、人々も耳をすましていた。
そして、彼の前身を知っているほどの者はみな、心のうちで
(この御坊房も、よくここまで変ったもの――)
と密かに感じ入っていた。
生信房は、そっと、師の面(おもて)へ眸(ひとみ)を上げ、
「そうして、私が、説教をしておりますと、その説教なかばのことでございます」
と、話つづけてゆく。
「折わるく、もう稲田の検見(けみ)でもございますまいが、代官の萩原年景が、七、八名の家来をつれて、そこの並木へさしかかって参りました。――武士(さむらい)たちの装束(よそおい)を見ると、どうやら、狩猟(かりくら)の帰りでもあったかもわかりません」
「む……。そして」
と、善信は初めてつよくうなずいた。
「みな騎馬でした。威勢におそれている百姓衆は、みな、説教をよそにして、逃げちります。――するとそれを侍たちは鞭を上げて追いかけ、勅勘の流人が布(ふ)れる説教を聞くやつ輩(ばら)は同罪に処すぞ!こう呶鳴りながら、追いまわすのでございました」
「ムム……」
人々は、無念そうに眼を光らして、うめき合った。
生信房もまた、そこでしばらくことばを句切って、拳(こぶし)を膝にかためていたが――
「あれよ――あわれなことを――と私が見ておりますと、私の前にも、ハタと駒のひづめを止めた者がございます。見ると、それがうわさに聞く代官の萩原年景であったとみえます、馬上からはったと私を睨(ね)めつけ、――これッ囚僧!――そうです囚僧と呼ぶのでした。聞けよ、そちは都にて邪教をいいふらし、罪を得てこの北国に流されたものではないか。しかるに、それにもなお懲りずこの地へ来てまでも、なお邪教を道へ撒こうといたすか、代官をおそれぬ致しかたである、かような物など見るも嘔吐が催す――と、そう罵りまして、私が、松の木にかけておいた御名号を、いきなり鞍のうえから手をのばして、かように、引きむしッて……勿体ない……だ、大地へ」
いつか自分の話に自分でつり込まれて、生信房の顔には、大粒のなみだがぽろぽろとながれていた。
はっと、気づいて、彼はあわてて法衣(ころも)のたもとで顔を拭いた。
「――私は、ほかの物とはちがいますので、やおれ待ち給え、と立ち塞がって、その乱暴を止めようとしたのです。――とたんに、蹴仆(たお)されていました。アッと、自分の額に手をやった時には、黒い血が、顔を染めていたのでございます。――馬のひずめで、どこかを蹴られた上、鞭で、二つほど打たれたとみえます」
「…………」
傷(いた)ましげに、人々は、生唾をのんだ。
しいんと、声もないうちに。
と、生信房は、くわっと大きな眼を一方に向け、
「おのれッ!わたくしはそう叫びました。以前は天城四郎である私です。むらむらっと起てば、代官の素ッ首ぐらいは、すぐ引ン捻じってしまったでしょう。――だが、そのとき、ふと見ると、御名号は彼の手に奪(と)られずに、まだ松の幹に、風にヒラヒラしていたのです。――それをふと見ましたとたんに、私は、はッと思って眼にながれこむ血も知らず、仰向けに倒れたまま、虚空をにらんで念仏をとなえておりました」