ある小学2年生の女の子が、理科の授業で先生から問題を出され、それに対しての答えが何とも素晴らしく、人間味溢れる回答にとても和やかな気持ちになりました。
問題はいたってシンプル、「氷が溶ければ何になりますか?」という問題でした。
もちろん正解は水。
しかしその女の子が発した答えは、「氷が溶けたら春になります」と答えたそうです。
理科という枠組みの中では不正解かもしれませんが、女の子の感情の豊かさ、心のきれいさに先生も大きな花丸をあげたそうです。
厳しい冬の寒さを乗り越え、様々な命が息吹くこの時季。
春は始まりの季節ともよく言われます。
けれども、始まりを迎えられるその背景には、いのちを尽くして終えていったいのちの存在を忘れてはなりません。
柿の木にまつわる次のようなお話しがあります。
柿の実は全てを収穫せず、食べる分だけを穫り、あとに残る実は、この木にとまるたくさんの鳥や昆虫など他の多くの生き物たちのために残しておくのだそうです。
この柿の実がなるのを楽しみに待っているのは人間だけではなく、他の動物だって同じなのです。
そして時季も過ぎ、誰からも手をつけられずに最後まで残った柿の実。
じゅくじゅくに腐り、あとはただ地面に落ちていくのを待つだけの実。
しかし最後に残った柿の実にしかできない大切な役割があるといいます。
いつの日か地面に落ちるその時、落ちた瞬間に実の全てが潰れて土へと還り、また次の実りへとバトンを繋ぐように、柿の木を根元から支える養分としてはたらき、いのちを終えていくのです。
このように、一つひとつの柿の実がそれぞれの縁の中で他のいのちを生かし、最後に残った柿の実もまたこの木を生かす。
いのちは全てが繋がりあって生かされてあることに気付かされます。
無数のいのちに育まれて今の私があることを知り、いただいたいのちの花を私の生き方の中で輝きをもって咲かす。
そういう生き方を目指したいものです。