生信房のすがたを見ると、
「――助けてくださいっ」
年景の妻は、しがみついた。
ふところの乳のみ子が、泣く、手をつないでいる数名の子たちも泣く。
「……あれっ、あの棟の奥の部屋に、まだ一人、逃げおくれた和子が(わこ)、母の名を呼んでいます。あれ、影が見えるっ……。どうしようぞ……和子がようっ……和子よう……」
半狂乱になっている彼女なのである、乳ぶさの子も、袂にしがみついている子たちも、みな振りすてて一人の子を救うために、紅蓮のうちへ駈けこみそうにも見える血相だった。
「だいじょうぶです」
生信房は、彼女の肩をつかまえていった。
「あの棟にはまだ、火がまわっていないらしい。私が、抱いてきてあげる」
ことばと共に、生信房は、焔のうちへすすんで行った。
年景の妻は、
「おおっ、御仏っ」
泣いてさけんだ、焔へ向っても狂わしいほど感謝した。
まったく、赫光(かっこう)の大紅蓮のうちに見える生信房の男々しい働きは、生ける御仏としか見えなかった。
やがて、生信房は、法衣(ころも)のすそも袂も焦された姿で、三歳ばかりの幼子を引っ抱えて駈け戻ってきた。
その上に彼はまた、ほかの七歳ばかりの子を背中に追い、
「さっ、早く」
と、以前の大樹の下までのがれてきた。
年景の妻は、
「忘れませぬ、忘れませぬ、死んでもこのご恩は――」
と、手をあわせた。
子たちは、まだ泣いていた。
「父様(ととさま)あ」
「父は……父は……」
いじらしいほど、小さい瞳に真剣をもって探しまわる。
そこへまた、西仏のすがたが見えた。
西仏に聞けば、萩原年景は、生信房が奥の家族を救いに行ったのを見ると、敢然と、燃えさかっている役所のうちへ駈けこみ、火達磨のようになって、今や内部の重要な書類を廓外(かくがい)へ持ち出しているという。
「そうか、じゃあわしも」
と、生信房が、助けに駈け行こうとすると、
「いや、お身はこの女子(おなご)どもを、もっと安全な所まで連れて行ってくれい。年景どのへは、わしが手伝っているから」
と、西仏はあちらへ駈け去ってしまった。
そのうちに、風はいよいよ烈しくなって、乾ききった地上を、板のような火の粉が、ぐわらぐわらところがり廻る。
子は泣きさけぶ。
年景の妻に髪の毛にまで、火が落ちて、燃えかかる。
生信房は、彼自身でさえ、ともすると煙に巻かれそうになったが必死になって、その一人一人を、曲輪(くるわ)の外へ、かかえ出した。
そして、熱風をうしろに、火から遠い野原まで逃げ走ってきながら、万一多勢子どものうちの一人でも、途中で迷(はぐ)らせてはと、時々、振りかえって、頭数を読んでいた。
――すると、後から従(つ)いてくる子たちの中に、背の短い、眼のぎょろりとした侏儒(こびと)が一人まじっていて、足弱な女の子のうちの一人を、その侏儒が背に負って駈けつづいてくるのであった。
*「曲輪(くるわ)」=一定の地域をかぎって周囲と区別するために設けたかこい。郭。廓。