「はての?」
今気がついたように、定相(じょうそう)はつぶやき出した。
三人の弟子は、縁先で、榧(かや)の枯れ木を蚊遣(かや)りに焚いていたのである。
「なんじゃ、定相」
と、教順が不審がる。
念名も共に、
「なにを思い出して?」
と、笑った。
定相は真面目な顔つきで、
「いや何、石念のことだが……石念は夕餉のときに、皆と共に、斎(とき)の膳についていたろうか」
「さ、いたいようにも思うし、おらなんだようでもあるが……」
「怪(け)しい男じゃ」
「どうしての」
「どうしてというて、おのおのには、石念のこのごろの様子が、いぶかしいとは見えぬか」
「そういわれれば、なにやら、妙なふしもあるが」
「あるが――どころじゃないわ。あれは近ごろ、どうかしておる、よほどどうかしておる。憑きものにでもつかれたような」
「ふむ……。なんぞ、そうした原因があるのかの」
「それはあろうとも」
「なんじゃ、一体、石念の憑きものというのは……」
「いや、それはいわれぬ、滅多に口にすることじゃない」
定相はにがり切って、蚊遣りの煙のうちに、唇(くち)をむすんでしまった。
暗黙のうちに、他の二人もうなずいた。
やはり口に出せなかった気持なのである。
それは、彼らの潔癖にとって、最も忌わしく感じられることなので、それを是認することは、自分たちの法の同胞(はらから)の醜悪を認めるような気がするからだった。
もっとも、石念のそれは、あの都から来たふたりの女性(にょしょう)がここに共に住むようになる前から、本質的に、なにか焦々(いらいら)しているふうが見えた。
それが、火となって鈴野への恋となっていることを、こう三人はうすうす知っていた。
恋を――女への仏弟子のそういう態度を、極端に冷蔑し、むしろ醜にさえ考えている三人には、石念のそれからの挙動が、ことごとにおかしくて、馬鹿らしくて、そしてこんな男が同房のうちにいるということだけでも、何かしら、腹立たしかった。
この教順を初め、三名の弟子は、元々、京都から従(つ)いてきた親鸞の古い弟子ではなかった。
親鸞が北国へ来る途中からの随縁であった。
それだけに、この人々のどこかに旧教の――聖道門の観念とにおいが強くこびりついていた。
「また、あの竹林の奥へ入って、ぽつねんと考え事に耽っているのじゃないか」
と、人々は、すずしげな夏の月を見あげた。
月光の下には、深い篁(たかむら)が夜露に重くうなだれていた。
「そうかも知れぬ……」
定相は、苦笑した。
そして、
「救われぬやつだ」
と、嘆くような眼をした。
「見てこようか」
「いや、よしたほうがよい。魔に憑かれているうちは、人のことばなど耳に入るものか。いずれそのうちに、師の房からお叱りがあるだろう」
その親鸞の室には、もう灯りが消えていた。
三名もまた、あしたの炎天の托鉢を考えて、戸を閉めて、眠りについた。
*「篁(たかむら)」=竹の林。竹やぶ。竹のむらがって生えている所。