石念はおそくなってからこっそり帰ってきた。
もう同房の者が皆、眠りについてからだった。
(……どこへ行っておったのか?)
定相は飢餓ついて、うす眼をあけて彼が臥床(ふしど)へもぐり込むのを見ていたが、わざと言葉はかけなかった。
「……ああ」
それは石念のつぶやきだった。
彼は臥床へ横になってからも、しばらく寝がえりばかり打っていた。
ふいと、身を起して、まだどこかへ立って行く様子だった。
定相は、
(おやっ?)
と怪しんで首をもたげかけたが、厨(くりや)のほうで石念が水をのんでいる様子なので、また眠りを装っていた。
そのうちに、定相は彼に対する注意も気懶(けだる)くなって、ぐっすり眠りに落ちてしまった。
ほかの教順や、念名などは、その前から高鼾(たかいびき)を掻いているのだった。
……だが石念だけはいつまでも寝つかれないで、悶々と自分を持てあましているかに見えた。
側に熟睡している人々の寝息が、羨ましくもあるしまた、
(動物のような奴だ)
と、その単純さを腹立たしげに軽蔑しても見た。
けれど結局、自分の眠られないのは、何としても苦しかったし、それに決して、正しい悶えでないことも彼自身知っていた。
(――どうしてだろう、おれはこのままで自分を抑えつけていれば発狂するかもしれない)
かっかっと耳たぶは血で熱くなるばかりだった。
――ふいに枕から顔を上げてどこかを見まわす彼のひとみは底光りがしていた。
何か夢遊病者のように彼のたましいが彼をあやつっていた。
(……そうだ、もうおれは、どうなってもいい、地獄へも落ちろ、この今の炎に焦(や)かれて苦しむよりは)
何か怖ろしいことに意を決したらしいのである。
あたりの者の寝息をうかがって、彼は這い起きた。
みしりと、棟の梁が軋(きし)む。
そのかすかな物音にも、彼はギクッと身をすくめるのだった。
(いや……よそう……)
われに返って、彼は醜い自身を恥じるよう、ふたたび寝夜具のうちへ身をひそめた。
けれど、所詮、それは理性と本能のたたかいを血管のうちでくりかえしているに過ぎなかった。
ずいぶん長い間のそれは苦悶だった。
一刻(いっとき)ほどたつと、彼はまた、そうっと自分の体を起して、やどかりが這い出るように、手さぐりで真っ暗な房のうちからどこかへ忍びかけていた。
「……ム……ム……ウムム……」
うしろで、念名がこううめいた。
石念は白い盗人のような眼をギョッと振向けたが、何事でもなかったのを知ると、こんどは、全身の勇をふるい起すように――しかし針ほどな物音にも心をくばって、一尺か二尺ほどずつ、手さぐりでその部屋の外へ出た。
彼はついに、寝所の外へ出てしまったのだ。
もうそこには常の反省も常の石念もなかった。
――柱、戸、壁などを撫でまわしながら、廊下をつたわって、一歩一歩、足音をぬすんで行った。
その突当りの一間に、鈴野が寝ていた。