ふるえていた。
がたがたと、熱いような寒いようなふるえが、石念の全身を走っていた。
眼をつぶって、石念は、突当りの板戸へ手を触れた。
それはもう、鈴野の寝息のかおりを肌に感じさせるに足るものだった。
彼の手は、恐ろしいものと、甘い夢みる興奮とに、錯雑と逸(はや)りおののきながら、ついに、板戸の引手をさぐり当てた。
満身の血が、毒のように頭にだけ逆上(のぼ)っていたのである。
――彼はそこへ耳をつけた。
寝息が聞える……
黒髪と、やわ肌の、蒸れた丁子のような異性のにおいがする。
ズ、ズ、ズ……と二、三寸ほど石念の手がそこを開けたのである。
――と、その刹那に、白い電(いなずま)のような光が、彼の眼をさっと射た。
鈴野の寝すがただけあるとのみ思っていた暗い部屋の中に、そんな顕然たる光があったのである、仏陀の光のように石念は心を打ちのめされてしまった。
「あッ――」
と、思わず眼を抑えたのである――。
次にわれ知らず口から走った慚愧のことばは、
「南無阿弥陀仏!」
という無意識のさけびだった。
物音に、眼をさまして、
「誰です!誰ですかっ」
鈴野が起きた様子。
あわてて、どどどと、廊下の壁へぶつかりながら逃げてくると、
「なんじゃ」
「なんの音……」
同房の友だちも、みな、夜具を刎ねて、突っ立っていた。
「……あっ、石念」
人々は、板敷のうえに雑巾のように平べったくなっている彼のすがたを見つけて、太いため息をつくばかりだった。
「こ、こ、この馬鹿めっ」
いちばん年上の教順が、怒りに引ッつれた顔をふるわせて、思わず拳(こぶし)をかためながら彼の側へせまった。
「呆れ果てた外道。……ウム、外道の夢、醒ましてやる」
むずと、襟がみを引き寄せて、打ちすえようとすると、なに思ったか、石念はパッと起って、厨の戸を突き破るようにして外へ逃げ出してしまった。
――その朝は、朝から重い不愉快なものに人々の顔色はつつまれていた。
鈴野はなにもいわなかった。
けれど、その小さな胸が、不気味な、なんともいえない恐怖と懐疑につつまれていることは、誰の眼にも読めた。
「……申し上げてしまおうか」
「いや、こんなことを、どうして、師の房のお耳に入れられるものか」
「どこへ行ったか、あいつめ」
「抛(ほ)っておいたがよい」
人々は、囁き合っていたが、やがてさり気なく、それぞれ日課としている托鉢へ出て行った。
親鸞は、きょうは奥に籠っていた。
べっして、体のわるいようなせいではない。
――鈴野は何かしら秘密を抱いたようで、独りで胸が傷(いた)んでならなかった。
――蝉の音が、午(ひる)の窓へすずやかに啼いていた。
芭蕉の葉が、時折大きく風に揺れる。
その陰へ、石念はいつの間にか来ていて、じっとかがみこんでいた。