「精進料理」にはどのような意味があるのですか。

 肉、魚などを食さないという「精進料理」のルーツは、仏教の不殺生戒(ふせっしょうかい)、いわゆる戒律(かいりつ)から生まれたものであると考えられています。

 お釈迦様は、悟りへ至るために行ってはならないこととして、様々な戒律を定められました。

その中で在家信者が守るべき一番基本的なものに五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)というものがあります。

この五戒(ごかい)の第一が不殺生戒(ふせっしょうかい)で、人間の生命を保つ最小限以外の不要な殺生を禁止されています。

生きとし生けるものにとっていのちを奪われることは最も辛いことであり、その相手が最も辛いと思うことを行わない、させない、という慈悲の精神の実践が不殺生戒を守るということであります。

やがてこの不殺生戒は、「肉類を食せず菜食をもってすること」と解釈されるようになり、仏道修行者の食事は不殺生戒を守るべく菜食を基本とされていったのであります。

 一方、「精進」という言葉は「仏道修行を専心(せんしん)に励む」という意味があり、それが「不殺生」とやがて同一視されるようになったようであります。

つまり、肉類を食さず菜食を専らにすることは努力、辛抱が必要ですから、精進の本来の意味である仏道修行を励み努力することが転じられて、菜食で辛抱することを精進と考えられるようになったようです。

 私たちの浄土真宗では阿弥陀如来のお呼び声と知らされ、称える念仏一つで往生が定まるのでありますから、専心に励むという意味の「精進」も、肉類を食さないという「精進」も自身の浄土往生の手立てとはなりません。

しかし、決してそれを軽んじて良いということではありません。

日常においてそこを意識し、実践していくことは極めて難しいことですが、せめてご法事の折などは、「精進料理」をさせていただくことで、「精進」の難しさ、尊さを知らされることも私たちにとって大切なことだと思います。