「おう」
と、垂れこめた簾を徹(とお)して、その時、明らかな親鸞の答えがひびいた。
次に――
「誰じゃ」
それも親鸞の声であった。
静かに、簾の内の灯のあたりからその人が、起ってくる気配がした。
弁円は、
「うぬっ、ここへ出てうせたが最後――」
八ツ目のわらんじをじりじりと縁近くへ踏みすすめ、手をかけている戒刀の柄は、もう血ぶるいをするかのようにガタガタとおののき鳴る。
――サラと簾を片手で上へかかげて、親鸞はそこから半身を見せた。
そして、朱泥(あけ)で描いた魔人のような弁円の顔をじろと眺め、その眦(まなじり)に、ニコリと長い笑み皺を刻むと、
「オオ」
と、なんのためらいもなく――なつかしい人にでも接しるようにいって――つかつかと竹縁の端まで踏み出してきたのであった。
「――誰かと思うたら」
手をさし伸ばさないばかりな親鸞の様子なのである。
弁円は、春風のような彼の姿と――その手の先から、思わず一歩退いて、
(そんな欺瞞に)と、呼吸(いき)のうちで叱咤し、
(そんな甘手にかかるおれではない)と、満身の殺気を眸にあつめて、炬(きょ)のように睨まえたが、なんとはなく、体の筋を抜かれたように、眸にも、ここへ来るまでの憎悪や兇暴な勢いを絶ちきれなくなった。
「…………」
「…………」
親鸞は、それなりものをいわないし、弁円も黙ってしまった。
――ただ呼吸(いき)をしているのみで、じっと、縁の上と下で、対し合っているのだった。
――火と水のように。
燃えるだけのものを、弁円は今、五臓から四肢全体に燃やしきっていた。
毛の一すじまで、針のごとくさせて汗をふき、内面の毒炎を、湯気のように立てていた。
「ウウーム」
爪を怒らせて迫った猛虎が、はたと、何かにためらって、その飛躍を遮られているように、弁円は、いたずらに自分の威嚇に持ち疲れてきた。
この一瞬、弁円の眼に映っている親鸞は、まったく、常々彼が思いにくんでいた親鸞ではなかったのである。
彼の憎悪は、とたんに鉾(ほこ)を鈍らせてしまったのである。
板敷山の呪壇に、一七日のあいだ、護摩を焚き、呪念をこらして、眼に描きだしていた怨敵親鸞は、さながら自分を呪う悪鬼とばかり見えていたが――今、眼のまえにある親鸞を仰げば、三十二相円満な如菩薩の笑顔そのままではないか。
弁円は、踏みしめている踵(かかと)の裏から、だんだんに力の抜けてゆく自分をどうしようもなかった。
彼も、仏者である、聖護院の御内に僧籍のある仏子(ぶっし)である。
菩薩の顔と、邪人の顔と、見わけのつかない人間ではない。
――なんで親鸞は前からこんなよい顔を備えていたろうか。
このほほ笑みが一体人間のものだろうか。
彼の殺意は、だんだんに冷えて行った。
「……ああ……」
思わずうめいたものである。
京都(みやこ)の巷で見たころの親鸞の顔には、もっと険しいものがあった、勝ち気があった、世に負けまいとする鋭い眼があった、物いえば烈々と人を圧しる唇あり、起てば、群小を睥睨(へいげい)する威風があった。
けれど今のすがたには、そんな烈しい強いものは微塵もない。
これは、弁円にして初めて思い出される記憶であった。
―――今の親鸞の和やかな顔は、十八公麿(まつまろ)と呼ばれていたころの幼顔(おさながお)にそっくりである。
四十を超えてからの親鸞は、いつの間にか幼少の顔のほうへ近くなっていたものと見える。
*「八ツ目(やつめ)のわらんじ【草鞋】」=乳(ち)が八つあるわらじ。修験者などが用いるもので、八つ葉の蓮華をかたどったもの。八つ目わらんずとも。