親鸞は慰めるに困ったように、縁を下りて、なお慟哭してやまない弁円を、いたわった。
「なんの……なにを嘆かれることがあろう。――弁円どの、おん身の今のことばは、あまりにこの親鸞を高く見過ぎている。親鸞とても、もう四十九になるが、今もって、真俗二諦(しんぞくにたい)のあいだに、多分な迷いを抱いて、一心の帰教する所は、決して定まったとは申されぬ。ともすれば、愛慾の広海に溺れ、ともすればまた、名利の大山(だいせん)に踏み迷っている凡夫なのじゃ、聖者などとは、滅相もない過賞、幼なじみのおん身にいわれては、この愚禿こそ、穴にも入りたい」
「親鸞どの」
弁円は、しかと、その人の手をにぎりしめて、
「幼少から、これほどのおん身を、友として持ちながら、なぜ弁円は、早くからおん身のその真実と徳に触れることができなかったであろうか。今さらながら口惜しい。……のみならず、このよい年ごろをしてまで、この稲田の草庵の栄えを嫉み、自己の行法や道門の衰えを、ただおん身あるがためと憎み、板敷山に待ち伏せて、お生命(いのち)をちぢめんものと、つい今日も、毒矢を研いでいたのであった。……怖ろしい、思えば、怖ろしい自分の心であった」
「だが――親鸞を害(あや)めなさろうとしたその心が、真の宿縁となって、ここにおん身が真実を吐き、わしが真実の手をのぶることとなったと思えば、その害心に、わしは掌(て)をあわせる。まことをいえば、親鸞は、いつかおん身がこうして訪ねてくる日のあることを信じていた」
「えっ、それまで、この弁円の心が、わかっておいでであったか」
「何か、通ずるものがあったとみえる。わしの心には、おん身の心が映って、ぼんやりそんな気持がしていた。――その日が来たと思えばよろこばしい」
「おれの果報は、まだ尽きなかった。――そういって下さるからには、弁円の願いも聞き届けて下さろう。思えば 得難い生(しょう)を同じ時にうけ、得難い明師におれはめぐり合ったのだ。――親鸞どの」
と、弁円は大地に膝を改めて、両手をついた。
「今日から、この弁円を、どうか御弟子の端になりと、加えてくだされまいか。――いやと仰せあっても、おれはすがりつく、しがみつく。……それよりほかに、弁円の生きる道は見あたらない。お願い申しあげる、お聞き下されい」
真実の声だった。
親鸞は、かろく、顔を横に振ってみせ、
「いやいや、おことばが違う。――若年のころは知らず、近ごろに至って、親鸞がひそかに思うに、この愚禿が、人に何を教えてか、弟子を持つなどといわれるより、それゆえに親鸞は、一人の弟子も持たぬ者と思いおります。身のそばにいる人々は、みな如来の御弟子、本願の同行」
「オオ」
飛び退(しさ)って
「そのおことば……そのおことばこそ……」
弁円は、掌を合せて、いつまでも身を伏していたが、やがて、兜巾(ときん)や戒刀を身から取り除けて、
「この場を去らず」
と、頑固な意思を示して誓った。
――だが、親鸞は、その手をすくい取って、
「まあ、部屋へござれ。四方(よも)の話、越し方の訪れ、語り明かそうほどにの――」
そして奥へ向って、親鸞は、ただの百姓家の翁のように、無造作に呶鳴った。
「これよ、誰ぞ出てこんか、わしの親しい幼友だちが見えてござる。ここへ洗足(すすぎ)を持ってきてくだされ」