蹴る、撲る、そして鑿(のみ)をふりかざして、お吉を追う。
元よりこれは脅しにすぎないと人々は思っていたが、兇暴になると手のつけられない平次郎のことだし、何か、お吉に対して嫉妬らしいものを含んでもいる様子なので、辺りの者は、どうなることかと、色を失っていた。
「おいッ、兄哥(あにき)、何をばかな真似をするのだ、あぶねえじゃねえか」
普請場の方で、この態(てい)を見て飛んできた、仲間の大工の一人だった。
うしろから平次郎に組みついて、
「離しねえ」
と、鑿を持っている利き腕をねじあげた。
平次郎は、暴れ狂って、
「誰だっ、邪魔するな」
「誰でもねえ、和介だよ」
「なに、和介だと」
「オオ、おめえは何か、おれとお吉さんと、変なことでもあるように邪推しているってえことだが、それじゃ、お吉さんがかわいそうだ」
「離せっ、畜生」
「いや、そいつがわからねえうちは、離さねえ。なるほど、おれはお吉さんの相談相手にはなってやるが、決して色恋の沙汰じゃねえ、おめえというれっきとした亭主のある女――なんでおれがそんなばかなまねをするものか。よしまた、おれにそんな気持があったって、貞女のお吉さんが、おめえを裏切るようなことは、死んだってあるはずはねえ。お吉さんの貞操(みさお)ただしいことや、亭主に尽しなさる行いは、この近郷で、誰だって、感心なものだといっていねえ衆はねえんだぜ。それをおめえが、事ごとに、邪険にしたり辛く当るので、お吉さんは、泣き痩せている。そこへ持ってきて、毎日の稼ぎ以上に、おめえは大酒を食らっているじゃねえか。その酒代をこしらえるのでも、人知れぬ苦労をしているお吉さんだ。そんなことから、何かとおれの家へも相談にくるので、おれも不憫と思って、小費(こづか)いの都合をつけてやったりしているのに、それを、おかしい方へ気を廻して、おれとお吉さんとが、妙な仲ででもあるようにいわれちゃ、おれも、男が立たねえ」
「……痛えっ……おい和介。……痛えじゃねえか、手を離しやがれ」
「わかったかい、今の話は」
「わ、わかったよ」
「じゃあ、お吉さんの今日のこともおれに免じて、勘弁してくれるだろうな」
「女房のことあ、亭主の一存だ。他人のさしずはいらざる世話じゃねえか」
「それあ、兄哥(あにき)のいうとおりだ。おめえとは、元からの兄弟子、その弟弟子が、小生意気な真似をして済まねえが、これも、どうかして、お吉さんとおめえと、仲よく暮してもらいてえためにやったこと、腹を立てないで宥(ゆる)しておくんなさい。……それに、ここはただの普請場とちがって、御城主様の発願による大事な御造営の場所、――しかも勅額までいただくことになっている建立だ、そんな場所へ、万一、不浄な血でもながすようなことがあったら……」
同じ大工仲間ではあったが、弟弟子の和介は気だてのやさしい男だった。
涙さえ浮かめて、諄々と説いて聞かせたので、さすが兇暴な平次郎も、やや落着いて、
「離せよ、やいっ。……もう手荒なことはしねえから離せっていうのに」
「じゃあ、堪忍してくれるか」
「腹の立つ阿女(あま)だが、今日のところは、助けてやら。早く家へ帰って、酒の支度でもしやがれ」
と、いいすてて、ぷいと、平次郎は普請場の蔭へ走ってしまった。