必死のパッチの半世紀(後期)落語、ありがたかった 桂枝雀師匠とのご縁

父母との関係は薄かったけれど、ご縁をいただいて、桂枝雀師匠のところに入門しました。

寝食をともに師匠の家での修業がスタートしました。

取り立ての兄さんは来なくなり、ある意味解放感があって、精神的にも落ち着きました。

でも、今度は毎日のように怒られるんです。

それまでは身近に怒る人間がいなかったのに、今度は怒る人間が現れたのです。

12歳から放ったらかしで捨てられていて、行儀とか躾(しつけ)とかされてなかったという状況が一変して、箸の上げ下ろしひとつから躾けられるのです。

朝の7時ぐらいから起きて掃除する、洗濯をする、子どもの面倒を見る、師匠のカバンを持つ、買い物に行く、そして、師匠が帰ってくるまでずっと起きて待っている、師匠が寝てから私も寝るというような感じの繰り返しで、2年間、弟子とし修行をしました。

ぺーぺーの丁稚として電話の応対にも走り回るのですが、振り返ってみれば、修行とは機転を利かす、人に気を遣う、気を走らす、気を配る、回すなど「気」の修行というものが最たるものでした。

枝雀師匠のところに入門して、本当によかったと思っています。

飴と鞭(あめとむち)の区別もはっきりとしていて、怒られながら躾けられ、育ててもらいました。

一番嬉しかったのは、高座に上がる前の練習稽古でした。

師匠がやると本当に面白くて、それを目の前で独占できる時間というのが至福の時間でした。

「鳩がなんか落としていったよ」

「ふ~ん」

それだけでもなんだかたまらなかったです。

「隣の空き地に囲いができたよ」

「へぇ~」

いいもんですよ。

「見てみ、坊さんが歩いてるよ」

「そう~」

1対1で口うつしで、俺が今からやるから真似してみなさいと。

芸は模倣にはじまるわけです。

落語というものは、創造の芸、イマジネーションの芸なのです。

想像したときに思わず「うーっ」と笑ってしまうというのが落語の醍醐味(だいごみ)です。

師匠とのやりとりのなかで、蚊になる前のボウフラが水害にあったような恰好(かっこう)を教えてもらったことがあります。

お尻を7対3に振る仕草をすると「ぶ~ん」ボウフラが水害にあったような恰好に見えてくるんです。

変な世界でしょう。

奥が深いのか浅いのかわけがわからん。

もっと笑ったのが、伊勢海老が税金を納めに行く恰好です。

どうやって伊勢海老が税金を納めに行くんだろうと、そういうような恰好があるというんです。

落語の世界って、本当に凄いなと思いました。

面白いもんですよね。

でもまあ、そういう意味で考えたら言霊(ことだま)ですよね。

聞き手の皆さんが、そこのところでどういうふうに、イメージが広がっていくのかという言霊の世界です。

こちらがメッセージを送る。

お客さんが聞く。

そういう仲立ちで皆で笑いあえる場というのが落語の世界なのです。

落語というのは日本固有の芸で、世界中探しても他にはありません。

扇子(せんす)と手ぬぐいを使って、本来はないものをあるという形にして表現します。

「あっ、すいません、いただきます」と、おなじみのうどん、器のはしをこうもって「あつっ」という表現をする。

扇子せ割り箸を割る表現をし、だしを吸う様子

「ふぅふぅふぅ」

「かまぼこ分厚く切ってありますな」

なんて言いながら

「私はうどんより、どっちかというとそばの方が・・・ふうふう」

「そばぁ、ありがとうございます」

「ふぅふぅ」

「うどんそばよりラーメンが好きで・・・」

仕草はみんな一緒なんですが、そういうようなものを先輩方から教えていただく。

まあ、考えたらつまらないようなことなんですけど、これをまじめに取り組んでいくと、やっぱり結構なんだかんだと奥が深いのです。

手ぬぐいを丸めてさつまいも、焼き芋ができ上がって「うわぁーあっちち、ふーふー」ライオンやチーターも手振り身振りでそれらしく見せます。

まじめに取り組んでいくと味が出て面白いものが出来上がるということです。

そして、やはり言葉です。

おなじみの「手水廻し(ちょうずまわし)」の演目でも面白おかしく扱われていうように滑稽(こっけい)な話が上方には多いのです。

一方、東京では粋(いき)な話が好まれるようですね。

なんだかんだ申しあげましたが噺家(はなしか)というのは色々と会見と実績を積み重ねていって60歳ぐらいから真に充実し熟成するというのが理想だと思います。

そして70、80歳ぐらいで徐々に枯れていく。

先輩方を見ていますと、そのような空気というものを感じるわけです。

私は16歳で入門して来年40周年です。

これからもずっと「必死のパッチ」でがんばっていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。