弔辞が読まれる際に、「安らかにお眠り下さい」と結ばれます。
特に気にすることもなく、耳にしている慣用の表現ですが、浄土真宗においては用いるのに適さない表現であるのはご存じでしょうか。
この世のいのちを終えたひとは、”永遠の眠り”につく「お休み」になっているのではありません。
まったくお休みのない「いのち」となってはたらいておられるのです。
親鸞聖人の書かれた『浄土和讃』の中に
『安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし』
とうたわれております。
ご先祖の方々は、この世のいのちを終えたその時から、み仏となられ(還相回向)、この私をお救い下さる”おはたらき”を続けながら、お導きくださっているのです。
それは、眠るどころか、まったくお休みのない働きをされておるのです。
24時間365日ときくとコンビニエンスストアをイメージされる方も多いかと思いますが、先に逝かれた方々はそれ以上に絶えず私どもに働きつづけておられるのです。
ゆえに、安らかに眠ることはないということが言えます。
私達は、亡き方を偲ぶ年忌(法事)などをつとめますと、立派なことをしたと考えることかと思います。
しかし、私が忘れている時も、眠っている時も、亡き方々はお休みなくはたらいてくださっていることを思わねばなりませんし、そのことにきづいていかなくてはなりません。
また、世間では時折”先祖のたたり”などと言いますが、それはあやまった考えです。
私達は、たたりを恐れることの真反対、ご先祖の大きなご恩に生かされ、導かれていることをはっきり知らされ、喜びと安心の中に、感謝と報恩の生活をさせていただくことが大切です。