源氏物語などの国文学の中で貴族の世界が描かれるときには必ず雅楽のシーンが登場します。
平家物語にも雅楽を介した貴人たちのやりとりが出てきます。
ほかにも『枕草子(まくらのそうし)』、『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』など、雅楽と関わりの深い国文学が数多くあります。
当時、いかに貴族の生活の中に雅楽が入り込んでいたかということがわかります。
日本の仏教と雅楽はほぼ同じ齢です。
雅楽に関しての一番古い記録は、『日本書紀』の中に5世紀半ば允恭(いんぎょう)天皇のご葬儀の際に、海外から音楽家を召し寄せてお弔いをしたということが書かれています。
華やかな大イベントだったの東大寺大仏開眼供養会です。
四箇(しか)法要という形式で、屋外に大きな舞台をつくり、その包囲のなかで雅楽が演奏され、舞が舞われました。
1500年以上前の催事ですが1万人以上が集まったといわれています。
平安時代になると雅楽が和風化します。
もともとは外国の文化を反映したもので、とても華やかで、装束の色もけばけばしく、後世の日本の文化とは一線を画していたのですが、大陸との国交が途絶えてから国風化が進みました。
応仁の乱のとき、京の都のほとんどが焼け落ち、雅楽も危機に陥ってしまいました。
武士が力をもつようになると、それまで魅力を感じていながらも、なかなか手が出せなかった雅楽など貴族の文化に近づこうとする者が現れます。
高貴な人々しか伝承できなかったものを習うことによって権威を得ようとしたのです。
その典型が足利尊氏(あしかがたかうじ)で、笙をたしなんでいたようです。
武士の世になると貴族の力が衰え、伝統芸能の伝承も危うくなりますが、織田信長が雅楽の保存継承に手を差し伸べたのです。
そのため、雅楽を守ってくれた織田家に敬意と謝意を表し、雅楽の舞台で使われる幕や舞楽の装束には、織田家の紋様が入っています。
江戸時代にも定期的に雅楽好きの将軍が現れ、職人に優れた楽器を作らせるということがあったり、将軍家以外にも研究熱心な殿さまがおられたりしたので、そういった方々の楽器のコレクションなども残っています。
日本の歴史、文化、宗教、政治そのすべてに雅楽が関わっていて、連綿と守られてきたという経緯があります。
わが国以外ではどこを捜してもこのような事例は見当たりません。
海外の音楽家たち、特に中国圏の人々の中には、もともとは自分たちの文化なのに自国にはなくなっているために「私たちの文化を大切に1400年も守ってくれてありがとう」と冗談まじりに言う人もいました。
今では中国でも楽器が作られていますが、残念なことに練習する楽曲がありません。
日本には楽器をつくる技とともに演奏方法も伝承されて残っていますし、譜面もあります。
このことは日本の宝というだけではなく、世界の貴重な遺産といっても過言ではないと思います。
明治維新後、日本の文化は大打撃をうけ、雅楽も例外ではありませんでした。
それまでは御所を中心とした京都、四天王寺を中心とした大阪、春日大社や興福寺を中心とした奈良、3つの楽所「三方楽所(さんぽうがくそ)」があり、1000年以上も脈々と続いていたのですが、明治になって大変なことが起こりました。
天皇家が東京に移られたのです。
そのため関係者はみな先祖代々の土地など全部捨てて、東京に移動しました。
当時の宮内省の中に雅楽を専門とする部署ができ、三方楽所の人々が入りました。
そこでは洋楽の勉強も命じられたそうです。
奈良時代のころと同じように海外の文化に追いつき追い越せと必死だったのです。
ただ彼らはもともと耳の訓練には長けていましたので、洋楽の吸収も早かったようです。
現在クラシック音楽の世界で活躍されている方々の先祖には、雅楽の関係者や上層の公家の家系の方々が多くいらっしゃいます。
五摂家(ごせっけ)筆頭の近衛(このえ)家の方々のも音楽の才能に長けておられ、近衛秀麿(このえ・ひでまろ)氏はドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しましたし、近衛兄弟が作った「越殿楽」のオーケストラバージョンは、ストコフスキーという大指揮者が大変気に入り、ヨーロッパで何度も演奏され、絶賛されました。
越殿楽は1000年前の音楽です。
ヨーロッパのクラシックの歴史は、バッハから数えても300年程度ですから、その何倍も古い時代の音楽が黄金期のクラシック音楽に引けを取らないと評価されたのです。
先人恐るべしという気がします。
現在、アメリカの大学等が雅楽に強い関心を示し、熱心に研究に取り組んでいます。
洋楽では指揮者がいたり、メトロノーム的なテンポで合わせたりすることが多いのですが、雅楽は洋楽よりも伸び縮みの多い複雑なテンポの音楽をお互いの感覚で合わせて演奏します。
そういうことがとても不思議に思われているようです。
現代社会において喪失したある種の感覚が雅楽にあるのではないかと思われ、さまざまな大学で授業が開講され、研究サークルもできています。
1000年以上も皇室とその周辺で守られてきた音楽であるということも関心を高めているようです。