ひらかれていた道といのち(前期)ブッダ(仏陀)の意味は「心理=ありのまま」

ご講師:高田 未明さん(中央仏教学院講師)

今日は、仏教の入門といいましょうか、基本的なことからお話させていただきます。

鎌倉時代に親鸞聖人(しんらんしょうにん)が明らかにされたのはお念仏の仏教です。

仏教には座禅や瞑想による修行をするもの、苦行や荒行を重ねて悟りに至ろうとするものなど、修業をして自分の方から仏さまの境地に近づいていこうとするものもあります。

自分から歩みを進めて押し開いていく実践方法を押し開きのドアと例えます。

常識や道徳の捉え方に似ている部分があるように思います。

一方で、親鸞聖人が明らかにされた仏教は「南無阿弥陀仏」を称えるお念仏の仏教です。

こちらは引き開きのドアのようなもので、それもむしろ向こうからドアを開けて待っていてくださるのです。

たとえば親子関係に似ています。

子どもは親にそっぽを向いていても親はずっと子どもの方を見続けているという、一方的な親の救いのようなものです。

これらは自ら歩いていくのと船などの乗り物に乗せられていくのと、進み方や向かい方に違いはありますが、行き先は全てインドの言葉でいう「ブッダ」の世界です。

漢字にあてはめて「仏陀」と表示しています。

もともとはインドの言葉でブッダという言葉が最初にあるのです。

ブッダの意味するものは「本当」や「真理」です。

真理とは「ありのまま」と理解していただければと思います。

私たちの世界ではものを見るときに、時と場合や自分の都合などで判断が違います。

長い短い、大きい小さい、損だ得だ、好きだ嫌いだなど、条件によって変わります。

実は私たちはありのままを見ているようで実は見ていないのです。

仏陀はありのままの様子がありのままに見えています。

真理に目覚めたお方です。

そんな仏(陀)にならせてもらうという教えだから仏教と言います、ほかでもない私が導かれて真理に目覚めた人にならせてもらう、それが究極の目的であり、行き先です。