仏教は、この私が“仏”という位にたどり着く道が説かれた教えです。
山の頂上が仏の位だとしたら、そこに登る道は大きく分けて二つあります。
自分足で歩いてゆく道と、ロープウェイに乗せてもらい行く道の二つです。
このうち、浄土真宗の私たちの仏道は、ロープウェイで登らせていただく道です。
このロープウェイは、阿弥陀仏という仏さまの“必ずすべてのものを救い取る”という願いの力(本願力)を例えたものです。
浄土真宗と言う仏道は、この阿弥陀仏の願いの中で生きて、願いによって仏に成らせていただく道です。
そして、その願いは本当の私の姿を教えてくださいます。
奈良の少年刑務所では定期的に詩の授業を行っており、その授業で少年たちが書いた詩をまとめた「世界はもっと美しくなる」という詩集があります。
その中に『涙』という詩があります。
『涙』
仕事一本
ガンコな父
名前で呼ばれたことも
なかったから
必要以上
会話すらない
そんな関係である
ある警察官は
僕の父に質問をしました
「子どもを
漢字一文字でたとえると
なんですか?」
まっ白な紙に
大きく
大きく
書かれた文字は
「宝」でした
そのとき ぼくは
おさえられない
なにかを感じました
数秒後には
キレイな
涙が流れていました
私は、この詩の一つ一つの言葉の輝きに入り込んでしまいました。
キレイな涙を流した瞬間は、父の心によってそれまで知らなかった自分を知らされた瞬間ではなかったかなと思います。
刑務所に入っている子の多くは、親や先生や友達からいつも「×」を付けられてきており、自己肯定感が低く、自信が持てないと聞いたことがあります。
もしかしたら、この詩を書いた彼も、他人に引け目を感じたり、自己否定をしたりしている少年かもしれません。
しかし、自分の子どもを「×」ではなく「宝」と大きく書いた父親の心が、彼に宝の命であることを知らせ、キレイな涙を流させたのでありましょう。
阿弥陀仏の「決して見捨てない。必ずその苦悩から救い仏にならせる」という深い願いは、南無阿弥陀仏の名に込められ私たちに届いています。
その願いが、この命が死んで空しく終わっていったり、ただ一人孤独に過ぎていったりする命ではなく、仏にならせていただく願われた命であると知らせてくださります。
阿弥陀仏は本当の命の姿を教えてくださいますから“限りない光の仏さま”ともいわれます。
この仏さまとともに歩む道が浄土真宗と言う仏道です。
合掌