火器管制レーダー照射事件

2018年(平成30年)12月20日午後3時頃、能登半島沖の日本海において韓国海軍の駆逐艦「広開土大王」(クァンゲト・デワン)が、海上自衛隊のP-1哨戒機に対して火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射するという出来事がありました。

実は「レーダー照射」と聞いても、日常あまり使う言葉ではないので、正直なところ意味がよく分かりませんでした。

そこで、最初は時折耳にする「ロックオン」と同じなのかと思っていたのですが、ニュースの解説を見ていると、全く違うということが分かりました。

ロックオンは敵を補足し続けることで、レーダー照射は標的にレーダーの電波を発して照準を合わせることだそうです。

もしこれが交戦相手同士であれば、レーダー照射をされた側は相手が攻撃の準備をしているわけですから、自分が撃たれる前に攻撃をすることになります。

政府関係者の話によると、今回レーダー照射を受けた海上自衛隊のP1哨戒機が収集したデータを分析した結果、P1哨戒機が韓国軍の海軍艦艇からミサイル発射に向けての火器管制のレーダー照射を数分間に複数回受けていたことがわかりました。

そこで、日本政府が韓国政府の抗議とレーダー照射の理由説明を求めたのですが、韓国は「日本海で遭難した北朝鮮漁船を捜索していた際に、接近してきた哨戒機に向けて映像撮影用の光学カメラを使用した」さらに哨戒機に向けては放射していない上、火器管制レーダーは対空用ではなく対艦用モードで運用したと反論しました。

ところで、レーダー照射事件というと、2013年1月30日に、東シナ海で中国海軍の江衛II型フリゲート艦の「連雲港」が、海上自衛隊のむらさめ型護衛艦の「ゆうだち」に対して火器管制レーダーを照射するという事件がありました。

このことは、詳細なデータ分析や検証をして事実関係を固めた上で、2月5日夜に防衛大臣が緊急記者会見を行い発表しました。

この会見では、2013年1月19日にも東シナ海において中国海軍のフリゲート艦が、海上自衛隊の護衛艦「おおなみ」搭載の哨戒ヘリコプター「SH-60」に向けて火器管制レーダーを照射した疑いがあることも発表されました。

防衛省がレーダー波を解析したところ火器管制レーダーであることが判明したのですが、中国側はレーダーの使用は認めたものの捜索用のレーダーだったと主張し、レーダー照射をしたことは認めませんでした。

今回の韓国の駆逐艦と同じ対応ですが、後日、複数の中国軍幹部は攻撃用の火器管制レーダーを艦長の判断で照射したことを認めました。

ただし、中国の国防省は引き続き否定をしましたが…。

ところで、韓国海軍の主張はこれまで二転、三転しています。

最初は「荒天の中、韓国海軍の駆逐艦は北朝鮮の遭難漁船を捜索するためレーダーを照射した」と主張していましたが、やがて「海自の哨戒機がレーダーの中に勝手に入ってきた」と主張し、ついには「レーダーは照射していない」と言い始めました。

そこで、海自の哨戒機が撮影した画像を公開して、当日は晴天で波もなく北朝鮮漁船は目視できたこと、さらに海自が「レーダー照射の意図」を無線で問いかけても韓国駆逐艦が黙殺していたことを明らかにしました。

すると韓国海軍は「海自の無線は英語の発音が悪くて聞き取れなかった」とか「海自の哨戒機が低空飛行で威圧してきたのが悪い」などと反論し、ついには「日本は謝罪しろ」という主張を始めました。

本来なら、現場の指揮官を処分して日本側に謝罪すればすぐに済む問題なのですが、韓国側は何か不都合なことをしていたのか、最初に嘘をついてしまったため、それを糊塗するために日本が事実を指摘する度に二重三重の嘘を重ねて、収拾がつかなくなってしまったようです。

このような対応の根底にあると思われるのが、先月取り上げた長年韓国社会を覆ってきた朱子学の弊害です。

本来、日韓両国間での協議事項は、火器管制のレーダー照射があったかどうかという事実を解明すべきなのですが、朱子学的発想では「実際はこうだった」ではなく、「こうあるべきだ」から始まり、やがてそれが「こうだったはずだ」となり、ついには「こうだった」ということに変化していきます。

そして、自分たちにとって都合の良い事実、つまり「そうであってほしい」あるいは「そうあるべきだ」という主張が明確な根拠のないままに行われます。

また、それが自分にとって不都合な事実である場合は、「なかったことにしよう」とし、どうしてもそれができない場合は「相手が卑怯であくどい手を使ったからそうなったのだ」という言い方をします。

事件発生からこれまでの韓国の対応の経緯を見ていると、まさにそのようなあり方を踏襲しているので、長年韓国社会を覆ってきた朱子学的思考のあり方はなかなか抜き難いものがあるように感じます。

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