ご講師:濵田 努 さん(医学博士・きいれ浜田クリニック院長 NPO法人きいれくらす理事長)
皆さんの中で「死」というものがどのように見えているでしょうか。
私は、医師となった当初は死というものは完全な敗北でしかありませんでした。
そう思っている中で、将来何か人の役に立ちたい、人の役に立てる仕事ってなんだろうと考えたときに、医師であった父の姿を見て、私は医師を目指しました。
名古屋の大学を卒業し、とにかく人の役に立ちたいなら一番忙しいところが良いと思い、852床あり救急車が一日あたり30~40台も来る名古屋第一赤十字病院に入り、そこで呼吸器内科医としての研修を積みました。
少しずつ経験を重ね、研修医2年目に70歳の女性の主治医となりました。
胃がんの末期で残された時間は長くなかったのですが、この方は私に「助けてね」とおっしゃいました。
私は「わかりました、助けます」と伝えました。
あるとき私が昼食中に緊急電話が入り、病棟にかけつけたときには患者さんの呼吸が止まっていました。
がんの末期ですからそういうことは容易に想像できていたんですが私は初めての経験で気が動転してしまい、心臓マッサージをしたり救急カートで蘇生処置を行ったりしました。
しかし助けることはできず、約束を果たせなかった、役に立てなかったという思いで涙があふれてきました。
「生老病死」という言葉があります。
この言葉の中で医師は実は「病」しか勉強しません。
早く病気を見つけ、どうやって病気を治すかです。
人が老いることや死ぬことについて医師はいまだに勉強していません。
でも死は訪れるのです。
多くの方がいらっしゃる病院で多くの方をお看取りしました。
私は役に立ちたいのに役に立てない、こんなことばかりでは生活できないと考え「死」との間に壁をつくり、多くの方が亡くなるのは別世界の話で私のことではないと言い聞かせて過ごしました。
時が過ぎて私は鹿児島へ帰り、鹿児島市の病院勤務を経て、実家のある喜入に帰りました。
喜入に帰ると、私の父は50年前から訪問診療をし、在宅で看取りをしていましたので、その父の跡を継いで私も多くの方と接するようになりました。
肺がんの末期の85歳の男性が家で最期を過ごしたいと言われたので在宅で支え、さらに子宮がんの末期の女性や膵臓がんの末期の女性、食道がんの末期の男性など「家にいたい」とおっしゃる方を私は在宅で支えました。
今、私は「死」というものは決して敗北ではなく、もし本人の力にならなかったとしても最期まで患者さんに寄り添うと提唱して、医者として仕事をしています。
「死」の話をすると考えなければならないのが「命」についてです。
「命」って何だと思いますか。
いろいろな考え方があると思いますが、105歳まで現役の医師として働いておられた日野原重明(ひのはら・しげあき)先生は「命というのは私たちが持っている時間のことだ」と言われました。
この命が時間だとするならその時間を使うということは、命を使って何かをすることです。
がんの終末期となったとき、約7割の方が自宅で最期を迎えたいと思っているというアンケートの結果が出ています。
しかし今日、自宅で亡くなる方は13%ぐらいです。
どこで亡くなっているかというと多くは病院です。
鹿児島市では8%しか自宅で最期を過ごせていません。
鹿児島市は病院も多く入院も簡単にできるので自宅で亡くなる方が少ないと言われています。
自分の家で最期を過ごしたいのに過ごせない、それはすごく苦しいです。
私たちは死ぬということについて考えないといけませんが、死には4つのパターンがあります。
例えば突然亡くなる事故などです。
がんで亡くなる場合もあります。
症状が上下しながら悪くなる心不全や肺の病気もあります。
そして老衰や認知症です。
この場合はゆっくりと悪くなります。
結局、人には必ず死が訪れます。
私たちは今どこにいるのでしょうか。
母親のお腹の中にいたとき、次にハイハイをして親に育てられ、今こうやって立って生活をしています。
でもだんだん私たちは歳をとり、腰が曲がり、杖をつくようになり、そして最後は命を終えます。
「死について考えたことがありますか」というアンケートの結果を見ますと、3割は考えたことがないようです。
死について考えないのであれば終末期医療の話をするはずもありません。
終末期医療について考えていらっしゃるのは約3%の方だけです。
終末期医療について話をしていないと勝手に医者と家族が決めます。
本人の意思など関係ないのです。
自分で自分のことを考えていないと家族から自分の望んでいないことをされてしまう可能性があります。
今日「アドバンスケアプランニング」というものがあって、私たち医療者は本人の意思を早めに聞いて、関係者で話し合って、方針を決めるということが行われています。
医者の一方的な意見ではなく、医療者も介護の人も、ご家族もみんなでその人のことを忖度して、治療方針を決めようというものです。
一番大事なのは本人の意思です。
前もって自分の希望を医療者と家族とみんなで話し合っておくこと、これがとても大事です。
自分のことは自分で決める、他人任せにしない。
でも、もし他人任せにするとしたら、自分の意思をすべて引き継いでくれる人、それを決めるのも一つの方法です。