警察庁の集計(暫定値)によると、2018年に全国の警察が確認した特殊詐欺は計1万6493件(前年比9.4%減)で、被害額は計356億8千万円(同9.6%減)だったそうです。「特殊詐欺」というのは、電話や電子メールを用いて面識のない相手を信じ込ませ、銀行口座に振り込ませるなどして金をだまし取る犯罪の総称です。「オレオレ」「架空請求」「融資保証金」「還付金」の4つに分類される振り込め詐欺のほか、「金融商品取引」や「ギャンブル必勝法情報提供」などを名目にした詐欺も含みます。
認知件数は8年ぶりの減少、被害額は4年連続の減少となりましたが、警察庁は「依然深刻な情勢」としています。確かに、認知件数・被害額は共に減少傾向にあるとはいえ、これだけの額の被害が出ていると、警察庁が「深刻な情勢」と判断していることに十分に頷けます。なお、都道府県別では、41道府県で認知件数が減る一方、東京や神奈川、埼玉、大阪などの都市部では増加する傾向にあります。
内訳はオレオレ詐欺が最も多く、認知件数は9134件(同7.5%増)、被害額は182億8千万円(同12.1%減)。架空請求詐欺(4852件)と還付金詐欺(1910件)はいずれも件数が前年を下回りました。
手口はキャッシュカード手交型が認知件数の35.1%を占め、現金手交型(26.6%)や振込型(18.1%)を上回りました。これは、これまで高齢者が被害に遭うことが多かったことを踏まえて、高齢者による多額の出金・振り込みを制限する対策が広がったためとみられます。しかしながら、依然として高齢者が詐欺の被害に遭うことが多く、そのうちの78.0%が65歳以上の高齢者で、割合は前年より5.5ポイント上昇しました。
また、摘発された人数は2747人で、前年から1割以上増えました。そのうちの27.4%、約4人に1人が少年でした。警察庁は、現金受け取りの役割を果たす受け子などの低年齢化が進んでいることが、その理由だとみています。
ところで、仏教では自らの犯した罪の重さによって堕ちる地獄の様相がそれぞれに説かています。たとえば、殺生を犯した者は等活地獄、殺生と偸盗(盗み)を犯した者は黒縄地獄、殺生と偸盗と邪淫を犯した者は衆合地獄、殺生と偸盗と邪淫と飲酒を犯した者は叫喚地獄、殺生と偸盗と邪淫と飲酒と妄語(嘘をついて人をだます罪)を犯した者は大叫喚地獄といった具合です(この下に、更に焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄が説かれています)。
ここで興味深く思われるのは、地獄は下にいくほど罪が重く、受ける苦痛が厳しいとされているのですが、殺生を犯した者が堕ちる等活地獄が最初で、続いて黒縄地獄⇒衆合地獄⇒叫喚地獄⇒大叫喚地獄という順番になっていることです。言い換えると、殺生の罪(殺人も含みます)よりも盗みの罪が重く、盗みよりも節度のない邪な異性関係の罪が重く、さらに酒を飲む罪が重く、それらに増して人をだます罪が重いとされているのです。
けれども、これは普通に考えると順番が逆ではないかと思われます。どう考えても、酒を飲むことよりも人や生き物を殺す罪の方が重いように思われます。なぜ、地獄では罪のとらえ方が世間の常識とは反対になっているのでしょうか。もちろん、地獄に堕ちるのですから最初に置かれている殺生罪が決して軽いというわけではありません。ここで、仏教が教えているのは、罪の自覚のもち易いものから罪を自覚のしにくいもの、つまり自らの罪業性を自覚し得る行為から、それが罪であることを自覚しにくい行為ほど、罪が深く重いということなのです。つまり地獄というのは、いかに私が罪業の身であるかという、自己の罪業を自覚せしめる教えだということです。
確かに、「殺す」ということは他の指摘を受けなくても罪としてはきわめて自覚しやすい罪ですが、一方「酒を飲む」ということは罪としてはなかなか自覚しにくいものです。にもかかわらず、なぜ飲酒ということを問題にしているのかというと、酒を飲むことで私たちは自分の心というものを麻痺させてしまうからです。そして、麻痺させることで、貴重な人生が空しく過ぎてしてしまうことを問題にしているのです。
おそらく世間の常識からいえば、罪と考えられるのは殺生・偸盗・邪淫くらいまでかもしれません。飲酒、そしてその次にくる妄語(嘘をつくこと)などは「だまされる方が悪い」とか、それこそ「ぼーっとして生きているから騙されるんだ」などと、開き直る者もいたりするのではないかと思われます。
けれども、罪の意識のないことほど、いつまでも限りなく犯し続けていくことになるのです。地獄の次第を見ると、依然として現代社会において特殊詐欺を試みる者が後を絶たないのは、きっとその罪の重さを自覚し得ないからだと、変に納得してしまいそうになりますが、それらの人々が自らの罪の重さに気づき、悔い改めようとするのが地獄ではなく、生きている「今」であること、切に願うことです。もちろん、悔い改めることも。