「私の出逢った子どもたち」(前期)アジアの子どもたちの現実を知ることから始まった活動

ご講師:寺田朗子 さん(認定NPO法人 国境なき子どもたち 会長)

26年前になりますが、大学の先輩から「フランスから来た人が『国境なき医師団』の事務所を東京につくるので、手伝ってほしい」と言われ、NPOの活動に関わることになりました。当時は家で子どもの帰りを待つふつうのお母さんでしたが、大学でフランス語を勉強していたため、そんなご縁をいただきました。

『国境なき医師団』のことは、皆さんご存知と思いますが、その活動の中で、日本の子どもたちは自分たちがそれなりに過ごすことには一生懸命だけど、外国のことを知らないということに気づきました。アジアの他の国々には貧しくて路上で暮らす子どもたち、地震や災害、内戦の中でつらい思いをしている子どもたちなど、大変な過ごし方をしている子どもたちがいます。それでも学びたい、前に進みたい、夢を持ちたいと思っている子どもたちを応援するために『国境なき子どもたち』という名前の団体を設立しました。日本の子どもたちが彼らのために何かできることがないかということを自ら考えながら、私たちの活動を一緒に見てサポートしています。

私が初めてフィリピンを訪れたのは2000年で、そのとき最初に行ったのは墓地でした。フィリピンのお金持ちのお墓には屋根があり、雨を凌(しの)ぐことができるのです。そこに子どもが5人から15人ぐらいのグループで暮らしていました。この子たちはいろんな過去を持っていて、親のいない子、あるいは貧困等で親の元にいることができなくなった子などがいます。

ストリートチルドレンなどと呼ばれ、道路で暮らしている子どもたちが世界に1億人以上います。親が貧しくて食べ物がろくにない、都会に行けば何かできるかもしれない、そんな思いで都会へ出てくるのです。そして一人では生きられないから、何人かで一緒に屯(たむろ)して暮らしています。生きるためにはお金を稼がないといけません。まだ利用できるゴミを拾って売ったり、車の窓ガラスを拭いて料金を求めたり、靴磨きをしている子どももいます。一番手っ取り早いのは物乞いです。また、お金が手に入らず空腹を我慢できなくて、安価な接着剤を袋に入れて吸う子もいます。いわゆるシンナーです。ボーッと楽しくなって、空腹を忘れることができたり、親に会えない寂しさを紛らわすのだそうです。そうして体を壊してしまうのです。女の子であれば子どもができてしまう可能性が高く、生まれた子が路上で育って、親と同じ境遇になってしまい、負の循環です。

貧しい地域のひとつにゴミ山があります。ゴミの中から金属などお金になるものを探して、それを売って生活をしています。親も生活が苦しいから、子どもに「学校なんか行かなくていい、ゴミを拾ってこい」と言うのです。でも、この子たちも学校へ行きたい、勉強をしたいと思っています。私たちはこのゴミ山の地域に寺子屋みたいなものをつくり「1週間に1回、1時間でいいからおいでよ」と誘っています。1週間に1回ならお父さんも許してくれる可能性があります。ここへ来て勉強すると字が覚えられ、そのうちに友だちを誘うようになったり、お母さんたちが2回行ってもいい、3回行ってもいいと認めるようになるのです。今この地域ではかなりの数の子どもが学校に通えるようになりました。知識とか勉強に対する思いが変わってきているのだと思います。