「私の出逢った子どもたち」(中期)『若者の家』

私たちは、多くの方々から寄付をいただき『若者の家』という家をつくっています。カンボジアの『若者の家』は、男子棟と女子棟とで勉強をする部屋があります。基本的にカンボジアの場合は学校に通うので、ここでは補習をします。そして食堂、事務所、さらに子どもたちが手に職をつけることが大事であると考え、そのための設備を設けています。午前中は学校に行って午後から手に職をつける訓練をします。そういうシステムですが、まずは路上にいた子たちがきちんとご飯を3食、ある程度栄養が整ったものが食べられ、清潔なシーツで寝ることができ、学校には嫌でも朝行かねばならない、そんな生活の中で子どもたちは少しずつ定期的な生活に慣れてきています。

私が今日着てきた服はカンボジアの子たちが織った布で縫製したものです。蚕を飼うところから手順を覚えて、型紙の作り方や縫製、アイロンがけも習って、ブラウスなどを作れるようになりました。男の子たちは籐家具を作っています。とても上手で、地元の市場に出せばすぐに売れます。それから車の修理、これも男の子たちにとって良い仕事です。7年ぐらい前に行ったとき、工場で汗まみれ油まみれで修行していた子が、今はそこの責任者になっています。美容師や理髪師の場合、女の子の方はとてもしっかり学ぼうとして日本のハサミのメーカーが毎年2人を派遣して日本の技を習います。大学に行って勉強し、オフィシャルガイドの資格をとった子もいて、私をアンコールワットに案内してくれました。こういう先輩たちを見て、若い子たちは自分の将来の夢を描いています。

フィリピンの『若者の家』はマニラの郊外にあります。ただ、フィリピン人は団体生活が苦手な人が多く、来てもすぐにどこかへ帰るのです。だから「いつでも来たいときにいらっしゃい」というのが基本です。代わりに頻繁にみんながここに集まっています。建物の中には、パソコンルームやホールがあって、いろいろな使い方をしています。子どもたちにとってはとても大事な場所になっています。ゴミ山の寺子屋式のところに来ていた女の子に子どもが生まれて、学校に行くのは無理かなと心配しましたが、子どもを連れて英語の勉強に来ていました。学ぶということがどういうことか、自分でちゃんと考えるようになったのだと思います。英語がどこまで達者になるとか、そういう問題よりも学ぶことの意義を分かってくれたのがうれしかったです。この子はこの地域に幼稚園を作ったら、保護者代表のような活動をするまでになりました。

がりがりにやせていた3人兄弟がいました。命の危険を感じたため私たちが預かったのですが、長兄はとても優秀で、奨学金をもらい理科の教師になるための勉強をしていました。ところが、家が極端に貧乏で、もらった奨学金を兄弟の食費にあててしまうなどして勉学を中断してしまいました。でも、一番下の幼い弟が「お兄さんはせっかく奨学金をもらっているのだから、学校の勉強を続けなければだめだよ」と言い、妹は「自分も手伝うから」と言ってお兄さんを焚きつけたのです。今、兄は大学に戻り、先生になるために一生懸命がんばって勉強しています。

東日本大震災の前ですが、フィリピンのゴミ山があるところで洪水が発生し、近くにあった200軒ぐらいの家が流されました。ちょうど私たちの新しい『若者の家』ができたばかりでしたので、被害者の子どもだけを100人ほど預かりました。その子どもたちは、日本で東日本大震災が発生したあと、すぐに自分たちで募金箱を作って地域の小学校を回りました。自分たちは日本にお世話になったから恩返しをしたいという気持ちからの行動でした。1日に100円ぐらいしか稼げない人たちから7万2千円もの募金があったのです。私は涙がとまりませんでした。

パキスタンで2005年に大きな地震が発生しました。都会の学校は比較的早く修復したのですが、地方は手つかずで、日本の外務省に支援の要請がありました。NPOにも手伝ってほしいということで、私たちも100以上の学校の整備に関わりました。この地域は宗教色がかなり強く、女の子たちは勉強をさせてもらえないのではないかと思いましたが、開校式には元気な顔を見せてくれたので安心しました。バレーボールをプレゼントしたら喜んで、頬に日の丸を貼って、日本への感謝の気持ちを表した写真が送られてきました。

ヨルダンにシリア難民キャンプがあるのを皆さんご存知だと思います。ここには、紛争後にたくさんの人たちが逃げてきました。一時期は20万人といわれていましたが、今は8万人ほど。東京ドームの12個分ほどの広さのところに仮設の家が並んでいてひとつの町のようです。できてから7年が経ち、いつ母国に帰れるかまったく分からない状況の中で、子どもたちもやる気がなくなってきている様子でした。そこで、JICA(国際協力機構)の方々と一緒に、日本の学級会みたいなものや清掃活動などを取り入れた授業を試行し、少しずつですが成功例が表れています。私たちにできることは限られていますが、ユニセフやさまざまな組織が皆でパッチワークのように繋ぎあって活動すればより良いものになると考えています。