2019年11月法話 『報恩 ご恩を無駄にしないこと』(中期)

古代インドの原始仏教においては、他者によって自分のためになされたことを知り、それに感謝することが重要な社会倫理である、と説かれていました。そのため、自分が受けている恵みに気付き、それに感謝することが重視されるようになりました。

また、この説明で用いられる古代インドの表現「krta(なされたる)」、「upakara(援助・利益)」は、中国で「恩」という言葉に翻訳され、恵みを受けることを「受恩」、自分が恵みを受けていると自覚することを「知恩」、恵みに報いることを「報恩」と表現するようになりました。

ところで、欧米にはこの「恩」という概念はないのだそうです。自分のために何かしてもらった時、具体的な行為に対して感謝の意を表す「ありがとう」という言葉はあるのですが、今自分がこうして生きていることに深いご恩を感じるというような恩の感覚はないそうです。なお、キリスト教では無条件に人間を救おうとする神の無償の働きかけが恩に近い概念として考えられ、「恩寵」という言葉で表現されていますが、これは「神の恵み」とも表現されることから、罪深い人間に対してまず賜物を与えて、人間の側の自由な応答を待つとするものです。また、人間を罪の状態から義の状態へ移行させる神の行為を意味する「義認」という言葉で訳されることもあることも窺い知られるように、恩の概念とは少し異なるようです。

同じように、これは宗教の成り立ちの相違によるものですが、仏教とキリスト教では「いのち」に対してのとらえ方も違います。キリスト教のような一神教では、その名の通り神さまは一人で、この神さまはいわゆる創造神です。ですから、人間を始め、すべての生きとし生けるものはすべて、創造者である神さまが造られたとのだと理解します。そこで、食事をする際、食前の祈りの言葉は、

父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心とからだを支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

あるいは、

神よ、わたしたちを祝福し、あなたへの奉仕を続けるために、この食事を祝福してください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

のいずれかを唱えています。

また、食後の祈りの言葉は、

父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。
あなたのいつくしみを忘れず、すべての人の幸せを祈りながら。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

あるいは、

神よ、あなたに感謝します。
今いただいたこの食事が、善を行うための力となりますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

のいずれかを唱えています。(『パウロ家族の祈り』より)

つまり、食事は神さまから恵まれたものとして感謝を捧げるのです。

一方、仏教(浄土真宗)の食前の言葉は

多くのいのちと、みなさまのお蔭により、
このご馳走を恵まれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

食後の言葉は

尊いおめぐみをおいしくいただき、
ますます御恩報謝につとめます。
お蔭で、ごちそうさまでした。

と、いのちそのものと食事を準備してくださった方々のお蔭とそのご恩に感謝し、そのご恩に報いていくことを誓っています。

経典には「すべての生きとし生けるものは、すべて自らのいのちを愛していきている」と説かれています。それは、私に食べられるために生まれてきたいのちは一つもないということです。私たち人間は、辛いことや悲しいこと、苦しいことや耐えがたいことがあると、「もう死んでしまいたい」と思うことがあります。けれども、そのように思うのは人間だけで、すべての生きものはその命が耐える瞬間まで、必死で「生きよう」とするそうです。

にも関わらず、私たちは生きていくために、海の大地の無数のいのちを食べて生きています。そうすると、私に食べられていったいのちと、もし会話ができるとしたら、きっとこのようなことを言うのではないかと思います。「自分もいのちを賜った以上、もっと生きていたい。だが、あなたが生きていくために黙って死んでいく。だから、このいのちを無駄にしないあなたになれ」と。

このような無数の生きものの願いを受けて、私たちは今こうして生きています。言うなれば、「今、いのちが私を生きている」のです。したがって、この「声なき声」ともいうべき、いのちの願いに耳を傾けようとすることもなく、ただひたすらその命を食べ続けて死んでいくことになれば、それは命の無駄遣いということになります。

「報恩 ご恩を無駄にしないこと」とは、多くのいのちの願いを受けて生きている・生かされているという自身のいのち事実に目覚め、その願いを無駄にしないことだと言えます。そして、それはただ「聞法」によってのみ成就します。