「薩摩剣士隼人 みんなで創る鹿児島の未来」(後期)鹿児島の魅力を発信する「薩摩剣士隼人」

日本で初めて地方初のキャラクターをテレビ番組化し、成功したのは鹿児島の「オモチャキッド」です。しかし私はなんとか細々と生きていけるくらいの経済効果しか生み出せませんでした。それから改めて私たちは鹿児島のいいところをキャラクターを通じて、鹿児島に住む人たちに伝えていかなければならないと思い「薩摩剣士隼人」をつくりました。対象は2歳から90歳まで、みんなが見て楽しめる番組をつくろうと思いました。ほとんどは「つんつん(犬)とコンコン(狐)」というかわいいキャラクターが物語をリードし、薩摩剣士隼人や最後にちょっと出てきます。いろんなキャラクターが混在する世界観で構成しています。

実は制作関係者にはプロが一人もいません。鹿児島にいる英訳が好きな人、漫画を描きたい人、声優になりたい人、ゲームを作りたい人、フィギュアを作りたい人、そういうアマチュアたちが力を合わせてつくっています。

鹿児島は「黒」文化です。黒酢があり、黒豚、黒まぐろ、黒薩摩鳥や黒じょかがあります。鹿児島のヒーローの色も「黒」だろうと思い、さらに歴史を一目で感じられるデザインにこだわりました。

薩摩剣士隼人は剣士ですのでチャンバラで戦うのですが、隼人が持っている「無刃剣(むじんけん)・十字丸(じゅうじまる)」には刃がありません。戦いの中で相手と剣を交えますが、相手の体には剣を当てたことがありません。これは相手を倒すためではなく、どんなに考え方の違う人、どんな悪い人とでも剣と剣を交えることでお互いの思いをぶつけ合い分かり合える「敬天愛人(けいてんあいじん)」の考え方で戦っている剣士という設定です。

外国人はよく「サムライ」と言いますが、私は薩摩剣士隼人を武士にしたくはありませんでした。武士は仕える殿様がいて忠義のために戦い、仕える人のためには命も捨てます。私が考えた剣士というのは、自分の信念のため、自分が正しいと思うもののために剣を振るのです。西郷さんが理想としていた、どんな人とでも分かり合おうとする心、敬意を持っていた人とも仲良くなって、新しい時代を切り拓(ひら)こうとする思いを、チャンバラの中に組み込んだのです。

薩摩剣士隼人は毎回焼酎を飲んだり、ラーメンを食べたりします。鹿児島にはおいしいものがたくさんあるので、この魅力をどうしたら伝えられるかと思ったら、やっぱり薩摩剣士隼人がおいしいものを食べるシーンを多く入れることだと考えたのです。

県内には桜島をはじめ枕崎の立神岩(たてがみいわ)や錦江町の神川大滝公園、種子島の千倉(ちくら)の岩屋など他県にはないすばらしい風景があります。ですから毎週ロケ番組にして、天気の良い日にすばらしい風景のところで撮影するようにしています。

隼人が登場するとき独自の囃子(はやし)で出てきますが、霧島で撮影したときには霧島九面太鼓(くめんだいこ)、桜島をバックにしたときには火の島太鼓の演奏で登場します。地域でがんばっている人々の姿を子どもたちにも見せたくて、毎回郷土芸能の演奏で隼人が登場するようにしました。

今、2か月に1回ぐらい東京でも薩摩剣士隼人ショーを行ったり、「薩摩剣士隼人英訳プロジェクト」もあります。鹿児島弁を英訳したらどうなるのかを純心短大の学生さんが取り組んでくれています。英訳したものをユーチューブで公開したり、国が全日空等と協力をして毎年ヨーロッパの国々で「シャンパン祭り」を開催しているのですが、2015年にイギリスで開催された際、英国留学生を送るなどイギリスとの関係が深かったことから、鹿児島を大きく取り上げ、公式パンフレットには薩摩剣士隼人が起用され、ロンドンのトラファルガー広場に集まった2万人の観衆の前で薩摩剣士隼人のショーを行いました。

今年で薩摩剣士隼人は10年目を迎えますが、全国のテレビで放送をしたり、東京での物産展も含めてイベントを行ったり、昨年はアメリカでもショーをするなど鹿児島の魅力を発信する活動を幅広く行っています。あまり難しく捉えず、地域活性をエンターテインメント化し、楽しく表現すれば、地域の魅力がもっと伝わると思います。行政や企業、商工会、民間団体等のいろいろなキャラクターが県外からのお客さんをもてなす。まさに官民学一体となって地域を盛り上げる、という意図で話題作りに努めています。

年齢を重ねるにしたがってより大きくなる「夢」

私はまだ独身で、頻繁に合コンに参加しますが、少し前に保育士の女性たちと合コンをした後に一人の女性から「今何してるの」と連絡が来ました。そのとき、中学校の立志式での講演を依頼されていたので「今からね、子どもたちに夢と希望を与えに行くんだよ」って返したら、その女性から「大人になるって楽しいんだよってことを子どもたちに伝えてあげてね」と返信がありました。私は子どものころから夢があり14歳で初めて着ぐるみを作りました。そして20歳から探検を始めました。30歳で新しいヒーローをつくりました。そして40歳で薩摩剣士隼人をつくり始め、今年50歳になります。14歳のときにも夢があったし、50歳の今も夢があります。14歳のときに見た夢よりも50歳の夢のほうが大きくて、仲間もたくさんいて、もっと楽しい夢になっています。これからも皆さんと一緒に楽しい鹿児島の未来を創っていきたいと思っています。