「世界に広がる日本語」

私たちの日常生活には、いろいろな言葉があふれていますが、大まかに分けると日本語と外来語(「他の言語から借用した語で、現在は自国語と同じように使用されているもの」といった意味の言葉。「借用語」とも呼ばれます。)・カタカナ語(文字通り「カタカナで表記される語」という意味の言葉です。漢字やひらがなではなく、カタカナのみで表される語を指します。)などがその大半を占めています。

そして、それらの言葉を取り混ぜながら意思の疎通が行われているのですが、例えばテレビやパソコンなどのようにそのままでも違和感を覚えない言葉がある一方、アウトソーシング(→外部委託)、アジェンダ(→行動計画)などのように、その言葉を聞いただけでは意味がよく分らず、日本語の意味を確かめてようやく理解できる言葉もあったりします。そのような言葉は、 初めは意味がよく分からなくても、頻繁に使われていく内にだんだん定着していくこともあったりします。

一方、日本語も外国でそのまま使われている言葉があったりします。食に関する言葉では「寿司・刺身・天ぷら・すき焼き・しゃぶしゃぶ・とんかつ・たこ焼き・そば・ラーメン・うどん」など。文化面に関する言葉では「和歌・俳句・川柳・短歌、歌舞伎・能」など。娯楽面に関する言葉では「碁・将棋・折り紙・カラオケ・マンガ・パチンコ」など。生活面に関する言葉「火鉢・障子・布団・畳・草履・着物」など。スポーツ面に関する言葉「相撲・空手・柔道・合気道・剣道」など、いずれも日本語のままで通じます。この他、社会状況を反映した「残業・過労死」も通じるようです。この他、ケニア出身の環境保護活動家であるワンガリ・マータイ氏が、環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した時に口にしたことから世界中に広まった「もったいない」もあります。

私たちが、日頃何気なく使っている言葉が、外国でも発音の仕方は少し違ったりすることもあるようですが、そのまま同じ意味で通じるたけでなく、使われているというのは、何となく不思議な感じがすると共に、小さな驚きを感じることです。ところで、それにも増して驚いたのは、「日本語由来の単語を使わないと、現代中国人の会話は成り立たない」とする、中国メディア(今日頭条)の記事を目にしたときです。

記事によれば、日本では中国から導入した「漢字」を現代でも用いているのは周知のことですが、その一方中国も日本から様々な「単語」を導入して用いているとのことです。中国が日本から導入した単語として揚げているのは、普段から頻繁に使われている「人民」「民主」「社会主義」「共産主義」「思想」「経済」「宗教」「科学」「権利」「運動」「衛生」などで、もし日本から導入した単語を使わずに他人と会話しようとすれば「現代中国人の会話は成り立たなくなるだろう」と述べています。

現代中国語のなかに日本から導入した単語が数多く存在する理由は「清王朝の頃に鎖国を行っていた」ことが大きいと説明し、同じ頃の日本は明治維新をきっかけに開国に舵を切り、積極的に西洋文明と知識を学び取ったことに起因すると紹介しています。さらに、日本は西洋の新しい技術や思想、理念を学ぶと同時に「西洋の単語を日本語に翻訳し、新しい単語をたくさん生み出した」と指摘し、この作業は日本が西洋の進んだ文明や思想を深く理解することの一助となり、日本が列強となる基礎となったと解説しています。

さらに、清朝末期になると多くの中国人が日本に留学してきたのですが、その時に西洋の文明や思想が「日本語に翻訳された単語」として中国に持ち込まれたのだということを紹介しています。また、日本からは現在も様々な単語が中国に伝わっていると伝え、たとえば「素人」「オタク」といった単語のほか、中国語でも使われている「~主義」「~化」「~感」「~界」といった接尾語も日本語の影響を受けたものであることを明らかにしています。

中国の国家の正式名称は「中華人民共和国」ですが、もし日本語の「人民」が導入されていなければ「中華共和国」だったのかな…、とか思ったりもしてしまいます。

中国では、外国の言葉が入ってきた場合、日本と違って発音にそれに近い発音の言葉をあてる音写と、意味を訳す意訳の二通りの対応が見られます。例えば、前者には「可口可楽(コカ・コーラ)」、「博客(ブログ)」、「保齢(ボウリング)」などがありますが、音写ですからいずれも文字そのものに意味はありません。一方、後者には「電視台(テレビ局)、「電影(映画)」、「计算机(コンピューター)」などがあり、意訳する際の苦心の跡が見られます。日本から中国に持ち込まれた言葉は後者で、日本で翻訳された外来語が中国でもそのまま用いられたということになります。

漢字は中国由来の言葉だという固定概念を持っていると、人民、思想、宗教なども中国から入ってきた言葉のように錯覚してしまいますが、明治期に日本で翻訳された言葉であり、それが中国からの留学生によって日本から中国にもたらされ、現在中国でも日常会話として用いられているということを知ると、何となく不思議な感じがします。また、狭い島国日本の寿司やマンガ、俳句などといった多くの日本語が、世界中でそのまま使われているのと同じくらい、面白くも感じられることです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。