「見ている」「知っている」と言われると、思わず、「天知る、神知る、子知る、我知る(『後漢書』)という「楊震の四知」を思い浮かべてしまいます。楊震とは、中国の後漢の官僚です。後漢も中期を過ぎると、宦官が権力を持つようになり、多くの官僚が悪事をするようになりましたが、中には楊震のような高潔な官僚もいました。
ある時、楊震が地方の太守に任命されて、赴任する途中で宿泊した時、夜遅くに県令の王密がひそかに尋ねてきました。王密は、楊震が以前、刺史(監察官)だった時、その学識の高さを認めて官吏に登用した者です。
久しぶりに会ったので、二人とも話しがはずみましたが、やがて王密は懐から金十両を取りだし、楊震の前に差し出して言いました。
「別に賄賂などではありません。ただの昔のご恩返しでございます。」
と。 すると、楊震は言いました。
「恩返しなら、私にではなく世間に対して行えばよい。」
それに対して王密は、
「そのように堅苦しくお考えにならずともよいではありませんか。今は夜中ですから誰も知る者などいません。」
すると、楊震は、
「天知る、地知る、子知る、我知る、なんぞ知るもの無しといわんや(意訳:天が知っている。地も知っている。お前も知っている。私も知っている。どうして知るものがいないと言えるのか。)」
王密は、楊震の言葉に恥じいって引き下がりました。これが、「楊震の四知」として知られている有名な言葉です。誰も見ていないと思っていても、どこで誰が見ているか分からないし、何よりも「自分の良心が賄賂を許さない」ということを楊震は言いたかったように思われます。
けれども、今月の言葉で゜「見たり、知ったりしている」のは、私の良心ではなく仏さまです。では、仏さまが「見ている」「知っている」とは、どのようなことなのでしょうか。
浄土真宗の門信徒の方が日頃お勤めされる『正信念仏偈』の中に、
我亦在彼摂取中 (我もまた彼の摂取の中にあれども)
煩悩障眼雖不見 (煩悩に眼を障えられて見たてまつらずといえども)
大悲無倦常照我 (大悲倦きことなくして常に我を照らしたまう)
という句があります。これは、源信僧都の教えにより光明の徳を讃えて述べられたもので、「私は阿弥陀仏の救いの中にあるのですが、私の煩悩(迷いの心)は、眼を遮っているので、阿弥陀仏の光明を直接見ることはできません。けれども、その光明を見ることができなくても、阿弥陀仏の摂取の光明は、一瞬の休みもなく、この私を照らしていてくださっている」という意味です。
けれども、現代社会を生きる私たちは、子どもの頃から物事を科学的にとらえ考えることを教育によって無意識のうちに刷り込まれているため、仏さまが「見ている」とか、「知っている」といわれても、では「私を見ているという仏さまは、いったいどこにおられるのか」という疑念がわいてきます。実証主義的な立場から言うと、仏さまの存在が証明されなければ、仏さまが「見ている」とか、「知っている」といわれても、容易には信じ難いからです。
その疑念に対する答えが、源信僧都の教えになります。私が仏さまを見ることができないのは、仏さまが存在しないからではなく、私が自身の煩悩によって眼を遮られ、真実の仏を見ることができないからです。
改めて、この句を読んでみると「私は仏さまの智慧の光に包まれているのですが、私の眼は迷いによって覆われているので、真実の仏さまを見ることはできません。けれども、仏さまは常に私を明々と照らし続けていてくださいます。」と理解することができますが、では源信僧都はなぜ「仏さまの光が私を照らし続けていてくださる」と讃えることができたのでしょうか。
「人間の眼は光そのものを見ることはできないが、光に照らされて我が身を見ることはできる」といわれます。確かに、私たちは光そのものを見ることはできませんが、光に照らされて自分の姿を見ることはできます。仏さまの光に照らされるということは、具体的にはその教えを聴くことによって実現します。また、善導大師は「仏さまの教えは鏡のようなものである」と述べておられますが、私たちは自分の眼で自分の姿を見ることができないので、鏡の前に立ち、そこに映った姿を見ます。
仏教は、どこの誰かの話をしているのではなく、どこまでもこの私自身を明らかにしていく教えです。そうすると、私たちは仏さまの教えに耳を傾けることによって、自らの愚かさを知ることになるのですが、聞けば聞くほどに、学べば学ほどに、「これほど自分のことを確かに言い当てた言葉があってたのか」という体験を持つことになります。
仏さまの教えを聴くことによって、仏さまはいつも私のことを見ていてくださり、本当によく知っていてくださることを実感することができるように思われます。