2020年6月法話 『一日の大切さは年齢を問わない』(後期)

こんな話を聞いたことがあります。

 

若い新聞記者が高齢の健康な男性を取材し、「健康で長生きできる秘訣は何ですかと」と聞いたところ、彼は「お前、歳は幾つか」と質問し、「29歳です」と答えると、「お前が29歳まで元気で生きてきた秘訣はなにか」と逆に聞かれたそうです。
生きるということで年齢によって違いがあるわけではないと言うことでしょうか。

 

私たちは年齢によっていろいろな違いもあります。しかし、年齢によって違いがあるようで、よく考えるとそんなことはない場合もあります。
「私はまだ若いからまだこれから先もいきている」と言うことはできません。私は若いからまだまだ先があるというわけにはいきません。日々の命を生きることにおいて年齢は関係ありません。

 

「余生」と言う言葉がありますが、余分な生、余った人生ということでしょうか。でも余分な人生はないと思います。自分は80年も生きたのだからこれからは余分な命、余分な日々だと考えるのは間違いだと思います。

 

親鸞聖人の主著『教行信証』の英訳を依頼された鈴木大拙師は「行」を「Living=生きる・生活する」と訳されたと聞いたことがあります。浄土真宗の仏道は、行は、浄土往生の念仏の日々の生活ということでしょうか。
私たちは阿弥陀様に願われた大切な命を日々生きているのです。毎日毎日が大切な日々です。無駄には出来ません。

 

本願寺新報5月10日号に医師の田畑正久先生が『私は朝目が覚めたとき「今日の命をいただいた南無阿弥陀仏」で始め夜は「今日、私なりに精いっぱい生きさせていただきました。南無阿弥陀仏」と休みます。』と書いておられます。

 

「念仏の日々は、むなしくうつろに過ぎることはない」ということでしょうか。