2021年1月法話 『合掌 多くのいのちに生かされて』(前期)

新しい年が始まりました。一日いちにちを大切に生かされていることの喜びをかみしめながら過ごしていければと思うことです。

もうだいぶ前になりますが、その年の11月頃に鹿児島市内で研修会があり、久しぶりにある方とお会いする機会がありました。以前から交流のある方で、その方は60代くらいの女性の方でした。所属しているお寺の仏教婦人会等で熱心に活動をされていて、大変明るく元気な方でした。久しぶりにお会いしましたのでお互いに近況を話したことです。そして最後に、「今日は久しぶりにお会いできて嬉しかったです。そしてお元気そうで何よりでした。また来年お会いできる日を楽しみにしています。」といってお別れしました。

その方とは毎年年賀状のやりとりをしておりましたので年賀状を出して、「先日はお疲れ様でした。また今年もよろしくお願いいたします」と一言添えて送ったことです。いつもはすぐに年賀状が返ってくるのですが、その時は返信がなかったので、色々と忙しくて年賀状を出す暇がなかったんだろうなと特に気にもしていませんでした。

すると1月中旬頃、その方の息子さんからハガキが届きました。その中には「母は急な病気で亡くなりました。生前中には色々とお世話になり有難うございました。」と書かれてありました。つい数ヶ月前にお会いしてお元気そうにされていたのでただただびっくりしたことでした。

この方のように、新しい年を迎えたくても迎えることのできなかったたくさんの方々がおられます。毎朝目を覚ますということをいつの間にか当たり前と思っている自分の姿があります。しかし、このハガキを通して、この方が私に対して「あなたのそのいのちいついかなるときに縁尽きてもおかしくないいのちですよ。だからこそ、今日明日ではない今その瞬間を大切に生きよ」とその身を通して命がけで無常のことわりを伝えてくださっておられると受け止めたことです。多くのいのちに生かされ支えられて今いのち頂いていることに感謝し、お念仏申す日々の日暮らしを送らせていただければと思うことです。