2022年1月法話『私を照らすみ仏の光あり』(後期)

夜というには早い時刻だが、冬のことであたりは真っ暗だった。
福井県上中町の松宮良子さんの乗ったバスが峠道の手前の村の停留所で止まり、中学生が一人降りた。
部活動の帰りなのか慣れた足取りで、暗いバス停から集落への細い道を歩き始めた。
他に乗る人も降りる人もいないのに、ライトをつけたままバスは動かない。
数分後にブルンッと出発。
何のための時間調整なのか分からなかったが、しばらくたって気づいた時、「そうか…」とすごくうれしかった。
集落への道が急坂でしかも暗いため、バスは少年の足元を照らす明かりになっていたのだ。
福井県の若狭地方と滋賀県の近江今津を結ぶ鯖街道のJRバス。
何年も前に出会った光景だが、良子さんは今も鮮やかに思い出す。 (『ちょっと いい話』より)

 

人間にとって一番厄介なものが煩悩です。「煩」とは身を煩わす、「悩」とは心を悩ますということです。

煩悩の最たるものが、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、愚痴(不平不満の心)で、仏教では三毒の煩悩といわれます。

私たちが煩悩の赴くまま、身を煩わし心を悩ませながら生きていくということは、そのまま暗闇の中で生きているようなものだと思います。

暗闇の中を間違いなく大丈夫に進んでいくには、確かな一筋の明かりが必要です。

私の足元をしっかり照らしていてくださるのが、少年の足元を照らしてやっていたバスの光と同じ、み仏の光であります。