2022年4月法話 『縁起 縁によって咲き 縁によって散る』(前期)

縁起という言葉についてどのようなイメージを持たれてますでしょうか。おそらくダルマ、ひょうたん、招き猫といったいわゆる縁起物ではないかと思います。これらは金運上昇、無病息災、商売繁盛といった意味があるそうです。縁起物は、縁起が良い物という事で親しまれ、私たちの生活にとても馴染んでいるのではないかと思います。

しかし、これらの縁起物は仏教本来の縁起の意味するところではありません。元々縁起とは仏教の根本真理のことであり、因縁生起のことを指します。因縁生起とは、あらゆるものは因「直接的原因・原因」と縁「間接的原因・条件」が相互に関わり合って初めて存在するという事です。

例えば、花が咲くということについて言えば、まず種が必要です。そして、土や水も必要になります、さらに言えば太陽の光も必要かと思います。もちろんこれらだけではないでしょう、もっとたくさんのはたらきによって花が咲いているという事であり、どれか一つ欠けても花は咲くことが出来ません。花が咲いているという事実がどれだけ多くの物に支えられてきたか、また支えられているか、そのことを明かにしてくれるのが縁起ということではないかと思います。

「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」という絵本をご存じでしょうか。食肉加工センターに勤める坂本義喜さんの実体験が基になっているお話で、作者は内田美智子さんです。この絵本は、生き物のいのちを絶つという事、その苦悩に向き合う人々の姿が描かれているように思います。みいちゃんと名前をつけて、大切に育ててきた牛を生活のために手放さなければいけないご家族や、納得をしながらもそのことに耐えられない女の子(娘さん)、そして、本当は動物の命を絶つ事などしたくないけれども誰かがしなければならない事として仕事に徹する坂本さん、それぞれの葛藤が丁寧に描かれているように感じました。話の最後にお肉になったみいちゃんを食べるシーンがありますが、女の子は涙を流しながら頂きます。悲しいながらも牛のいのちが女の子の中で静かに大きくなっていくような有り難さがありました。

生きているということは、そこに多くのいのち、たくさんの支えがあることは紛れもない事実ですが、そのことを改めて知らされるような思いです。毎日の生活の中で意識することも無いこと、当たり前という言葉で流してしまう事が、実は私の想像を越えた大きなはたらきの上に成立していることを教えられるような思いです。私のいのちを最も底から支えているはたらきに手を合わせ、日々の生活を精いっぱいに歩ませて頂ければ、大変に有り難いことではないかと思います。