(2) 念仏と信心4月(前期)
親鸞浄土教の最大の特徴は、自らの力による往生のための行を持たない点にあります。
おそらく、仏教思想の中で、仏果に至るために、自分自身が行じるべき修行の方法を説かない仏教は、親鸞浄土教のみであると思われます。
では、なぜこのような思想が生まれたのでしょうか。
それは、既に述べてきたように、親鸞聖人の比叡山での行道の結果によります。
親鸞聖人自身、阿弥陀仏の浄土への往生を願われながら、その往生行において、最終的に必ず往生するという行の決定が得られず、そのために一心に求められた阿弥陀仏の本願による救いも、結果的にはいかなることがあっても揺るがないという、その本願を信じる確固不動の信が、親鸞聖人には生じなかったのです。
それは、親鸞聖人が比叡山で浄土往生の行を怠惰な心で行じられたからではありません。
まったく逆であって、当時の比叡山の修行僧の中で、ただ一人、真に誤魔化しのない心で、真剣にただひたすら浄土往生の行を修そうと努力されたが故に、自分自身に確証が得られる行も信もついに親鸞聖人には成就することがなかったのです。
親鸞聖人は二十九歳の時、比叡山における仏道修行の一切が破綻し、山を降りて法然聖人をお訪ねになります。
親鸞聖人の妻、恵信尼公は、この時の親鸞聖人の心を、夫の死後に娘の覚信尼公に綴られたお手紙の中で次のように語っておられます。
***
比叡山での修行に挫折されたお父さまは、
山おりて百日間、
六角堂に籠もられ、
後世をお祈りになられたのですが、
九五日目の暁に、
後世が助かる縁に会いたいのであれば、
法然聖人のもとをお訪ねなさいという、
聖徳太子からの夢のお告げをいただかれて、
それからまた百日間、
法然聖人のもとにお通いになり、
後世のことをお聞きになられたのです。
***
この手紙によれば、親鸞聖人の比叡山での最大の関心事は「後世」の問題であったといえます。
では、後世の問題とは何でしょうか。
これは単なる死への恐れではありません。
仏教は常に二つの事を問題にします。
一は悟りであり、二は迷いです。
この両者の関係は、一度悟れば二度と迷うことはありませんが、もし悟れなければ永遠に迷い続けなくてはならないということです。
ところで、迷っている生きとし生けるものの中で、ただ人間のみが悟りに至る機会を得ることが出来ます。
それは仏法を聞く心を有しているからで、だからこそ人は仏法を聞き、その真理を心から喜ぶのです。
この点を源信僧都は、すでに仏法と出会う縁を得ている人々に対して、
「あなた方は今、宝の山の中にいるようなものだ。
それなのになぜ、宝を手にしないで、空しく山をおりようとしているのですか」
と言われます。