「親鸞聖人の他力思想」11月(中期)

そこで、ここではとりあえず本願寺の考えを抜きにして、オリンパス光学工業は、いったいどのような意図で

「他力本願から抜け出そう」

という広告を出したのかということについて考えてみることにします。

実は、この会社の言い分では、何も本願寺教団及び他力本願の教えそのものを批判したのではなく、この広告を通して

「現在の若者たちが陥っている問題点についての指摘をした」

のだそうです。

では、どのような点を問題視したのかというと、現代の若者を特徴付ける事柄として

「三無主義」

ということがいわれているのだそうです。

これは、自分達の仕事に対して

「無関心」

「無感動」

「無気力」

であるという意味なのだそうです。

したがって、そのような若者にわが社に来てもらっては困るということで、新聞の

「他力本願から抜け出そう」

という広告を出したと説明されるのです。

そうしますと、自分の会社に採用すべき若者に

「無関心・無感動・無気力な者はいらない」

ということを言うに際して、なぜ

「他力本願から抜け出そう」

という表現を用いたのかということが、ここでは問題になります。

では、この広告を出そうとする時、その会社の人々がイメージとして浮かべたもの、それがまさに本願寺教団の信者の方々の姿であったとしたらどうでしょうか。

私たちは、いま本願寺教団の中で、親鸞聖人のお育てを通して、阿弥陀仏信仰の導きを得ているのですが、その本願寺教団の人々が阿弥陀仏信仰に対して、どのように関わっているかということがここで大きな問題になります。

もし、浄土真宗の人々の信仰態度が、みんな阿弥陀仏に対して無関心・無感動・無気力であるとしますと、それは他から見れば

「本願寺教団の信者の人々は、阿弥陀仏信仰に対して無感動・無関心・無気力な人々の集まりだ」

と見られることになります。

このことを踏まえて

「他力本願から抜け出そう」

という広告が出されたのだとしますと、実はこの広告そのものが、本願寺教団に所属している私たちに対して、

「大きな警鐘を鳴らしてくれているのだ」

と受け止める必要が生じて来るように思われます。