このうち、道元禅師は正治二年(一二00)の生まれで、父は後鳥羽院きっての権力者、源道親でした。
また、日蓮上人は貞応元年(一二二二)生まれと、三人の中ではいちばん遅く、生地も京都から遠く離れた板東の安房国でした。
出世間の道を歩むようになったのは、親鸞聖人が九歳の時、道元禅師は十三歳、日蓮上人は十二歳の時というように、三人とも年齢的にはほとんど差がなく、またそれぞれ比叡山延暦寺において学ばれました。
しかし、三人の方々が親から出家させられた段階を脱して真の求法に目覚めた動機や、その時とられた方法論は三者三様で、甚だ好対照をなしています。
中でも特徴的なのは道元禅師の場合で
「大乗仏教には正・像・末法をわくることなし」
と言われます。
すなわち、自分は末法思想などというものは認めないと言われるのです。
しかし
「認めない」
と揚言すること自体、既に末法を意識している証拠であって、道元禅師が全く末法思想と無縁だったという訳ではありません。
ただ、そのように標榜された以上、道元禅師の思想が親鸞聖人や日蓮上人と比較し、あまり末法思想にとらわれない色合いを帯びたことは事実です。
そして、道元禅師が真の求法にスタートされたのも、次のような疑問に突き当たられたからで、末法思想に触発されてものではありませんでした。
大乗仏教では
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」
といい、人間は生まれながらにして誰でも仏になれる種子を備えていると説きます。
天台宗の本覚(ほんがく)思想は、さらにその立場を発展させ、人間は修行して初めて覚るものではない、既に生まれた時から覚っているのだとし、比叡山延暦寺でもそれが中心教学の地位を与えられていました。
ところが、もしそうだとすると、次のような問いが起こります。
それは、
「生まれながらに覚っているのであれば、人はなぜ発心し、仏道修行に努めなければならないのか。
修行などする必要など全くないはずではないか」