自力弁道を標榜された道元禅師も、やはり現世を重視されました。
自力弁道の禅は、もともと現世での悟りを重視するだけに、道元禅師が主眼を置かれたのは、個々人の人間的完成という側面です。
つまり、生きながら
「生死を離れて仏となる」
ことでした。
そして、それは日々の修行のうちに準備されているものだというのが道元禅師の見解であり、それ故、道元禅師は未来に期待することを逃避として厳しく戒められます。
道元禅師が退けられた
「未来」
には、来世も含まれます。
道元禅師にとって、来世往生は何の価値もないものでした。
道元禅師の関心は、あくまで現世において、人間の主体的努力によって
「仏となる」
ことにあり、その意味で道元禅師は鎌倉新仏教の祖師中、極めつけの現世重視主義者であったということが出来ます。
では、親鸞聖人はどうだったのでしょうか。
考え方は違うものの、親鸞聖人もまた現世に重きを置くことでは、日蓮上人や道元禅師と同じでした。
少なくとも、源信僧都のように、現世をひたすら厭離すべき穢土と見立てたりはされませんでした。
また、法然聖人のように、死後の極楽往生を優先する見解もとられませんでした。
親鸞聖人の考え方は、『末燈鈔』の次の一文に要約されています。
「真実信心の行人は(略)臨終をまつことなし、来迎をたのむことなし。
信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。
来迎の儀をまたず」
阿弥陀如来の本願を信じ、他力の信心に目覚めて念仏する人は、その瞬間から現世を正しく生きる力を備え、それに伴って現世で往生浄土の歩みが始まる。
信心を得た瞬間に、往生が決定し、人は煩悩具足の凡夫のまま、仏と等しい存在と化し、迷いのいのちを終えたとき、その繋縛を離れて極楽浄土への往生を全うできると言われるのです。
親鸞聖人はその境地を
「現生の往生」
あるいは
「現生不退転の位」
といわれ、その境地に達した人々を
「正定聚の機」
と呼ばれました。
しかも、親鸞聖人は
「来迎たのむことなし」
と言われるように、古くから人々を惹きつけてきた浄土信仰最大の魅力と言ってよい来迎まで正定聚にとっては不必要だと断定しておられます。
来迎とは、前にもふれたように、人間の臨終に当たって阿弥陀如来が救済のために迎えに来て下さるという概念ですが、それを不必要と断じ、
「獲信=現生の往生」
を打ち出されたのは、大乗の仏道が志願とする、現生における不退転の位に至ることへの応答であったといえます。
つまり、信心を得ることがそのまま不退転の位に至ることであると明かされることで、往生が決して未来の彼方に僥倖として期待されるものではなく、成仏への確かな歩みとして意義付けられたと言えます。
親鸞聖人のこの理解によって、死後志向であった浄土信仰は面目を一新し、まさに今、生きている人々の苦悩に即するきわめて前向きのダナミクスを獲得したと言っても決して過言ではありません。
誤解をおそれずに言えば、浄土信仰は親鸞聖人によって生まれ変わったと評しても、あながち不当てはいえないのです。