(三)の
(三)親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけまひらすべしと、よきひとのおわせをかぶりて信ずるほかに、別の子細なきなり。
は、『歎異抄』第二条の、親鸞聖人の弟子たちが命懸けで、関東から京都に来て、疑問になっている往生浄土の道を、いま一度師匠である親鸞聖人に問いかけている文です。
親鸞聖人は、この弟子たちの求めを厳しい口調で叱咤しておられます。
では、その求めのどこに根本的な誤りがあると、親鸞聖人は見られたのでしょうか。
一言でいえば、衆生の側の
「はからい」
だといえます。
知識的に往生の道がよく理解できて、行道を通して確固たる信心を得ようとして、弟子たちはいま師匠に往生の道を問いかけているからです。
この
「はからい」
が衆生の心にあるかぎり、衆生は絶対に阿弥陀仏に遇うことはできません。
そこで弟子たちの求道の過ちを、まず厳しく戒めた上で、自分は
「ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべし」
と教えられた、
「よきひと」
の教えを信じているだけだと述べられたのです。
この
「よきひと」
とは、法然聖人であることは言うまでもありませんが、法然聖人が語られるこの言葉はそのまま弥陀の勅命になっています。
この文もまた
「行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」
という自然法爾の言葉と重なりますが、法然聖人の教えによって往生はただ弥陀のはからいによると、親鸞聖人は信知しておられたからこそ、弟子たちにはからいの一切を捨てさせることが可能であられたのです。
では、この
「自然の道理」
は、なぜ阿弥陀仏という仏でなければならなかったのでしょうか。
「行巻」
で、南無阿弥陀仏が不回向の行だということを論証された後に、親鸞聖人は
「この行信に帰命すれば、攝取して捨てたまはず。
故に阿弥陀仏と名づけたてまつる」
と述べておられます。
「不回向の行」
とは、ただ一方的に、阿弥陀仏より衆生に廻向されている大行のことで、この
「行」
に対する、衆生のはからいの一切を否定する言葉です。
では、なぜ
「南無阿弥陀仏とたのめば」
攝取して捨てたまわない仏が、
「阿弥陀」
と呼ばれるのでしょうか。
真如とは無上仏であり、無上涅槃です。
そしてこの真如の
「おのづからしからしむる」
はたらきを、自然法爾と呼んでいます。
その自然のはたらきとは、いわば無限の空間と無限の時間を覆い尽くして、その一切を無上仏になさしめようとしている力です。
だとすれば、その
「はたらき」
とは、どのような力によって可能になるでしょうか。
一切の空間を輝かせる
「無量の光明」
と、一切の時間に耐える
「無量の寿命」
によるほかありません。
この無限の大智と大悲によってのみ、この道理は可能となりますが、そのはたらきの全体が、一言で
「阿弥陀」
と発音されます。
そしてこの
「阿弥陀」
が、一切の衆生を救おうとする願意が、言葉で
「南無」
となるのです。
そうしますと、無上仏の大信心が、大行となって衆生に
「相」
を示すとするならば、
「南無阿弥陀仏」
とならざるを得ないのです。