中央仏教学院講師 清岡隆文さん
大砂漠を越えて中国に仏教が伝わり、大海を乗り越えて日本に仏教がもたらされた。
実にインドから中国、中国から日本への仏教の伝わり方ひとつをとってみても、その背景に大変なご苦労があった。
もちろん伝えられた教えは、私たちに本当に生きる意味と喜びと安らぎを与えてくださる。
そういう教えを説いたお経さまですから、お経の本は頭の上でおしいただいてから開くことが私たちの心構えです。
やはり心の問題が説かれているお経さまですから、心向きからしてその姿勢が大切なのです。
多くの人たちがいのちがけで仏教を伝えてくださり、しかもその教えはお釋迦さまが説こうか説くまいか悩まれた末に、やっとお説きくださった尊い教えですから、お経さまはおしいただくよう心がけてください。
さて、いったい仏教は何を説いているのかということについて話を進めていきますと、これはまずもって、一度きりしかないこの世の人間としてのいのちを誰もが充実して、本当によかったというような、生きがいを持って生ききれるような一生でありたい。
だからこの人生を本当に楽しく、喜びを持って生ききれる生涯であってもらいたいというように、誰もが願っていることなのです。
ところが、残念ながら誰一人としてなかなかこれを百%達成出来ない。
誰もが避けて通りたい悲しみ苦しみというものを背負わなければならない。
苦しみのない人生を願っていながら、苦しまなければならない。
悲しみなんか経験したくないと思っても、次から次に悲しいことが起きてくる。
ですからこの世の中、幸福尽くしで生き抜こうとしても、なかなか幸福ばかりで人生を終わらないということが現実です。
なぜそうなのかということを先ず問いかけてくださって、では本当に私たちの人生の中には幸福はないのかということを問いかけてくださるのです。
申し上げておきますが、お経さまの中には幸福という言葉はほとんどありません。
したがって、仏教は私たちの考えているところの幸福とか不幸とか、そういう物差しに当てはめて考えるような人生のとらえ方に対して、もう一度考え直すべき点があるのではないかということを教えてくださっているのです。
私の母は八十八歳ですが、今でも頑張って年賀状を七十枚書いています。
「もう今年でやめよう」と毎年年賀状の発売時期になると言うのですが、やっぱり書いてます。
元気だから書けるのですけれども、母のかつての同級生の女性の方から届けられた今年の年賀状の末尾に「今年で年賀状は終わりにさせていたただきます」と書いてありました。
ああなるほど、八十八歳だからもう出すのが大変なんだなと家族で話しまして、私も母に「もうお母さんも来年の年賀状は、もし出すにしても最後に『今年で終わります』って書いたらどうなの」と言ったのです。
すると母は「一枚も届かないのは寂しい」と言いました。
一枚も出さないでたくさん欲しいというのが母の本音なのです。
そんな都合のいいことってありますか。
たくさんもらった人はその分だけ出したはずですよ。
母も七十枚出したから七十枚もらって、それを一枚ずつ読みながら楽しんでおりますから、これがけっこう母にとっての喜びなのだと思ったりします。