一つがいいと言うから、そればっかり食べるんじゃなくて、バランスよくいつも食べるということです。
そして、おばあちゃんが「うん」と言って見回して「赤・青・白・黄・黒、全部あるね。はい、いいよ」ってことで、ご飯が始まる。
こういう中で私は育ったんだと思うと、本当に良かったと思います。
だって、たまの煮魚なんて、それこそイワシと生姜がいっぱい入って甘辛く煮えてたり、それって前の日にお鍋で小さなイワシをいっぱい煮るんです。
いっぱい煮て、前の日はお皿の上に二、三匹ずつみんなの分を盛りつける。
こればかりは山盛りにして、全部をみんなで突っ付いたりしない。
だって骨があって危ないし、汚らしくなるからみんなそれぞれ盛りつけるんです。
ところが、この煮魚が出たときに限って、私もお膳の自分の席に座ろうとすると「のぶ代」って誰かが呼んでくるから、その人のそばに行って「アーン」て口を開けるんです。
そうすると、お魚の煮えた目玉を取って、私の口へ入れてくれるんです。
中の白いコリコリとツルツルが一緒になったのを噛んでいると、また誰かが呼んで、結局家族中の私以外の魚の目玉は全部、だから二十四の瞳が全部私の口の中に入っちゃうんです。
それで、私は大人に聞いたんです。
「何で私にばかりみんな目玉をくれるの」と言ったら、「目玉を食べると、目のいい子になるんだよ」と、ただそれだけのことで本当かどうかもわからない。
私はそれを、みのもんたさんの番組でもって
「青魚は、一週間に何回か食べましょう。
血圧の上昇を抑えたり、血行をよくしたり、血管が詰まるのを防ぐ。
そしてドコサヘキサエン酸というのが入っていて、それが一番多く含まれているのが目玉の後ろだ」
と聞いた時に、おばあちゃんはなんでそれを知っていたんだろうと思いました。
週刊誌もテレビもない時代に生きた人が、ちゃんと目玉を食べさせる。
そういうことは、みんな口移しでもって知っていたんです。
だから夢中になって、お魚をきれいに、猫だって横向いちゃうくらいの骨だけにしちゃうんです。
そのあとおじいちゃんは、熱いお湯を注いで魚の骨を押して、中から骨の隨みたいなのが手出てくるのを飲んで「ああ医者いらず」と言うんです。
私も真似して一緒になって飲んで「ああ医者いらず」って言っていました。
でも、これはカルシウムとかの栄養素は何があるかわからないけども、骨の芯まで全部飲んで、言葉で楽しみながら身体にもいいことをちゃんとしていたんだと思います。
今は学校で学んだり、世の中も情報が多くなっていろんなことを教えてくれるし、テレビを見てなるほどと思うこともあります。
けれども、昔の人が言葉から言葉へ伝え合っていたことは、今の時代に通じないような難しいものもあるけれど、その中に人が生きるだめに何が必要かということが全部入っていたんだって思うと、日本人ってすごい知惠を持っているから、それをなくしちゃいけない。
せめてそれを知っている私たちが、生きている間に次の世代に伝えておかなくちゃと思ったんです。