自分の眼が間違っていなかったことに、民部は、膝を打って、
「道理で――」
と、何度も、うなずいた。
「六条どのは、和学、歌学の方では、当代での指折りであある。
その御猶子とあれば、なるほど、あらそえぬ」
「お父上か、叔父様が、共に参って、おねがい申すところですが、学問の徒になるには、自分で参って、ひとりで、おねがいするのが、ほんとだと教えられて、こうして参りました」
「お気持が、ようわかる」
「先生、どうか、私を、今日から儒学のお弟子にしてくださりませ」
「お家庭(うち)にいるあいだは何を学んでおられたか」
「お父上から和歌を、また、叔父様唐、書道や、やさしい和学を、教えていただきました」
「よろしい、明日から、お通いなさい。
民部が、学び得たかぎりの学問を、おつたえいたしましょう」
「ありがとうございます」
十八公麿の頬には、希望のいろが、紅(あか)くかがやいた。
やはり、少年である。
そう聞くと、いそいそと、玄関へ駈けて、
「介」
と、弾んで呼んだ。
侍従介と、箭四郎は、式台のすみに、うずくまっていたが、
「お、和子様、どうなされました」
「おゆるしを受けた」
「それは!」
と、二人とも胸を伸ばして、よろこんだ。
「上出来でございました。
はやく、お父君にも、このことを」
穿物(はきもの)をそろえて、塗の剥げた貧しい輦(くるま)の轅(ながえ)を向ける。
彼が、それに乗ると、学舎の窓から、
「やあ、どこの子だ」
と、師の見えない隙をぬすんで暴れていた悪童たちが、墨だらけな顔や、悪戯ッぽい眼を外へのぞかせて、
「貧乏車」
「ぼろ車」
「なんぼ、くるくる廻っても」
「貧乏車は、ぼろ車」
と、謡(うた)って、囃(はや)した。
箭四郎は、窓のそばへ駈けて、
「雀ッ。何をいうぞ」
「わっ」
と、笑いながら、いちどに、窓の首は引っ込んだ。
「箭四、大人気ないぞ、行こう」
介は、牛の手綱をとった。
「わしが曳く」
と、箭四郎は手綱を彼の手から取って、まだ、腹だたしげに、窓をふりかえりながら、
「こんな、悪さのいる学舎へ、大事に和子様をかよわせても、よいものか」
「そりも、ご修業だ」
「朱にまじわればということもあるではないか――」
「染まるようなご素質であったら、それは、ご素質がわるいのじゃ」
「いまいましい、童(わっぱ)どもだ」
「だが、貧乏車とは、童も嘘は歌っていない。
このお粗末な車を見て、たれが、貧乏ではないといおうか。
……ああ、なんぼ、くるくる廻っても、貧乏車は、ぼろ車。
世の中が回らぬうちは、どうにもならん」
牛飼も、雑色も持たない古車は、轍(わだち)の音さえも、がたことと、道の凸凹(でこぼこ)を揺れてゆく。