小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(6)

「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」

朱王房は、語気をつよめて、

「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧に、授戒入壇(じゅかいにゅうだん)の式を、許されるという噂なのだ」

「はははは」

学僧たちは、一笑に附して、

「そんな馬鹿げた話が、あるものか。

それや、朱王房の聞きちがえだろう」

「なに、たしかなことだ」

「うそだよ」

「ほんとだ!」

笑いさってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。

「誰に聞いた」

「中堂の執務から――」

「何日(いつ)」

「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」

「はてな?」

解せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、

「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」

「誰が、こんな嘘をいうか」

「事実とすれば、言語道断だぞ」

「怪(け)しからぬ儀だ」

「私情というほかはない」

「法規の蹂躙(じゅうりん)だ」

学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。

「まだ十歳や、十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あの洟っ垂れの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」

「陽気のせいだろう」

「笑いごとじゃないっ」

憤然と、立つ者がある。

鼎(かなえ)のように沸いてきた。

昂奮した顔が、

「諸公!」

拳(こぶし)を振って、演舌(えんぜつ)した。

「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」

「そうだっ」

衆が、答える。

「――範宴少納言とやら、どんな天才か、麒麟児(きりんじ)かしらぬが、そもそも、授戒入壇のことは、円頓菩薩(えんどんぼさつ)の大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」

「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」

「それをだ」

と、憤怒の手は空(くう)を打つ。

「まだ、去年の十二月に、麓から、よたよた這い上がった十歳の稚僧に、突如として、これを、授けるとは何事だ。依怙(えこ)にも、ほどがある。私情をもって、大法を紊(みだ)すといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主のする業(わざ)であるからと、黙過するか」

「ならん」

「断乎と、排撃すべきである」

また、座の一角から立つ者があらわれて、

「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇(かいだん)にも、悪影響を及ぼそう。また、叡山そのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糾弾しようじゃないか」

「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨(あじゃり)たちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」

と、さけんで、別れた。